
政治経済小説というジャンルの作家として有名な1928年生れの著者の作品は、学生時代に広田弘毅のことを書いた 『落日、燃ゆ』 を一冊読んだことがあるだけだけれど、読後、いかなる言葉もなく心に重く沈みこんだ小説だった。なぜ、2冊目3冊目を読まなかったのか不思議である。だから今になって、古書店でこの本を見つけ著者名だけで購入しておいた。この本は小説ではなく、先立ってしまった奥様のことを書いた本だった。
戦後の日本経済大発展を担った、団塊の世代以上のビジネスマンのオジさんたちは、きっと著者の作品のほとんどを読んでいることだろう。今は現役を退いているその世代の方々がこの本を読んだら、きっと想いを同じくするのではないだろうか。
戦後の日本経済大発展を担った、団塊の世代以上のビジネスマンのオジさんたちは、きっと著者の作品のほとんどを読んでいることだろう。今は現役を退いているその世代の方々がこの本を読んだら、きっと想いを同じくするのではないだろうか。
【出会いの時・・・物語の始まり】
二人が初めて出会ったのは、休館していた図書館の前。それぞれに大学生と高校生の時。この時、著者がひとめぼれした。住所と電話番号を聞いておいたけれど・・・、
二人が初めて出会ったのは、休館していた図書館の前。それぞれに大学生と高校生の時。この時、著者がひとめぼれした。住所と電話番号を聞いておいたけれど・・・、
手紙は、父親に書かされたらしい硬い文章の絶交状であった。
今後、二度と会わぬだけでなく、便りや電話なども一切やめて欲しい ―― と。
恋の弱みで、再会の日まで、「妖精か天女か」 とまで思いつめていた私はショックを受けた。妖精はやはり妖精でしかなく、手に入るものではないのだ、諦めるほかないじゃないか。私は自分に言い聞かせた。(p.19)
今後、二度と会わぬだけでなく、便りや電話なども一切やめて欲しい ―― と。
恋の弱みで、再会の日まで、「妖精か天女か」 とまで思いつめていた私はショックを受けた。妖精はやはり妖精でしかなく、手に入るものではないのだ、諦めるほかないじゃないか。私は自分に言い聞かせた。(p.19)
【人間、頭がおかしくなると】
戦後間もない頃、一橋大学を卒業した著者は超エリートだったから、結婚話を断るのに大変だった様子が書かれている。その頃、ダンスホールで妖精を発見。
戦後間もない頃、一橋大学を卒業した著者は超エリートだったから、結婚話を断るのに大変だった様子が書かれている。その頃、ダンスホールで妖精を発見。
『悪魔の辞典』 などを著したアメリカの作家アンブローズ・ビアスによると、「人間、頭がおかしくなると、やることが二つある。ひとつは、自殺。ひとつは結婚」 なのだそうだが、私も容子も、頭がおかしくなっていたのかどうか、結婚に躊躇がなかった。私が26歳、容子は22歳のときのこと。(p.35)
だったら、チャンちゃんみたいに生まれた時から頭がおかしい人間は、まともになった時にやることが結婚なのか? どうりで、今も、相変わらずパープリンである。
【ペンネーム】
昭和32年春3月そちらへ引越した。名古屋市の東郊、織田信長の出城の一つがあったことから、通称 「城山」 と呼ばれる地域。(p.52)
『輸出』 を書き上げると、「文學界」 誌に投稿した。城山へ三月に引越したから、ペンネームは 「城山三郎」 として。(p.54)
たいそう安易な思いつきのペンネームという気がするけれど、本名は 「杉浦英一」 さんだというから、ペンネームの方が、ずっと風格があって遥かにイケテル。『輸出』 を書き上げると、「文學界」 誌に投稿した。城山へ三月に引越したから、ペンネームは 「城山三郎」 として。(p.54)
【森永のミルクキャラメル】
福田赳夫元総理と飛行機内であった時のこと。
著者は取材も兼ねて、たびたび奥様同伴で海外に出かけていたらしい。奥様同伴だったが故に起こった珍事件や幸運な事件が少し書かれている。
福田赳夫元総理と飛行機内であった時のこと。
機中で福田さんがやってきて、
「おいしいものをあげる」
そう言って私の掌にのせたものを見ると、森永のミルクキャラメル。小さくて軽くて安くて、そのくせ海外で在留邦人に配ると懐かしがって、みんな喜ぶんだと、と福田さんは笑顔で言った。こういう考え方というか工夫は、OBとは言え、政治家だなあと私は面白がった。(p.99)
森永とグリコの2つがあったけれど、何故、森永なのだろうか? グリコのキャラメルはミルクじゃなかったのだろうか? 海外で生活している人には懐かしいのかもしれないけれど、チャンちゃんには、キャラメルなんて歯医者行きの特急券みたいな印象である。「おいしいものをあげる」
そう言って私の掌にのせたものを見ると、森永のミルクキャラメル。小さくて軽くて安くて、そのくせ海外で在留邦人に配ると懐かしがって、みんな喜ぶんだと、と福田さんは笑顔で言った。こういう考え方というか工夫は、OBとは言え、政治家だなあと私は面白がった。(p.99)
著者は取材も兼ねて、たびたび奥様同伴で海外に出かけていたらしい。奥様同伴だったが故に起こった珍事件や幸運な事件が少し書かれている。
【「そうか、もう君はいないのか」】
四歳年上の夫としては、まさか容子が先に逝くなどとは、思いもしなかった。
もちろん、容子の死を受け入れるしかない、とは思うものの、彼女はもういないのかと、ときおり不思議な気分に襲われる。容子がいなくなってしまった状態に、私はうまく慣れることができない。ふと、容子に話しかけようとして、われに返り、「そうか、もう君はいないのか」 と、なおも容子に話しかけようとする。(p.133-134)
奥様が亡くなったのは、著者が72歳の時。もちろん、容子の死を受け入れるしかない、とは思うものの、彼女はもういないのかと、ときおり不思議な気分に襲われる。容子がいなくなってしまった状態に、私はうまく慣れることができない。ふと、容子に話しかけようとして、われに返り、「そうか、もう君はいないのか」 と、なおも容子に話しかけようとする。(p.133-134)
【ё】
著者の娘さんが、「父が残してくれたもの」 という章の中で書いていること。
著者の小説世界は、専ら男たちの世界なのだけれど、颯爽とした男たちの世界を背後から強く支えてくれていたのは奥様達だったのだろう。著者自身が、いかにもそんな感じである。
著者は、奥様が無くなってから7年間生きておられたけれど、その間を見守った娘さんの記述には痛々しいものが少なくない。
この手書きの文字は、書籍の裏表紙の真ん中に書かれている。
著者の娘さんが、「父が残してくれたもの」 という章の中で書いていること。
弱った父をこれ以上マンションの一室で一人で過ごさせる訳にはいかない。 ・・・(中略)・・・ 。私の夫が最後の一言として、「一人の親の身を案ずるというだけでなく、 『城山三郎』 という作家の側にいる者の責務として、何より一読者としてお願いしているのです」 と言うと、父は急に態度を軟化させ、素直に折れてくれた。「そこまで言ってくれるなら」 と。(p.146)
著者の小説の中に出てきそうな “男の台詞” である。著者の小説世界は、専ら男たちの世界なのだけれど、颯爽とした男たちの世界を背後から強く支えてくれていたのは奥様達だったのだろう。著者自身が、いかにもそんな感じである。
著者は、奥様が無くなってから7年間生きておられたけれど、その間を見守った娘さんの記述には痛々しいものが少なくない。
主なき仕事場には、「ё」(ロシア語で「ヨウ」と発音)という、父にだけわかる記号が付けたれたメモや原稿の断片が点在していた。(p.155)
奥様の名前を、仕事場に書きつけていた・・・・・。この手書きの文字は、書籍の裏表紙の真ん中に書かれている。
<了>