
著者は、医学博士であり、病院長さんもされていたけれど、1992年以降、神社の宮司さんをしておられる方。神道に関する一般人向けの著作をいくつも書いてくださっている。現在は、奈良県にある春日大社の宮司さん。
【陰徳とは】
《参照》 台湾のみなさん、ありがとう。
(台湾の義援金が140億円を突破=それなのに感謝の新聞広告はなし―日本)
私を含め、感謝の足りない毎日だから、富士さんが日本人に対する怒りで噴火するかもしれない。東北大震災以降、殆ど毎日地震で揺れ続けているし、揺れの頻度は非常に高くなっている。殆どの日本人は、現在の繁栄が、過去に生きた日本人たちの恩恵であることにすら気づいていない愚かな民族に成り下がってしまっているからなのだろう。
私は小さい頃よりおふくろから陰徳、陰徳と耳にたこができるくらい聞かされて育ちました。友達のために一生懸命にやって、友達が何も感謝してくれないこともありました。その話をすると、「それでいい。それが陰徳です。それが次に伝わっていくから、それはそれでいい。むしろ感謝されないほうがいい」 とまで言われわけもわからず、そんなものかと聞いていました。その意味が今この年になってようやく分かってきたのです。
普通、人はこれだけ尽くし世話をしたのだから感謝してほしいと思うことが良くあります。しかし、そうすると、もうそれは陰徳ではなくなってしまうのです。感謝や見返りを一切求めない。人の悦ぶことをしていれば、それが一番いいのです。こういうことの積み重ねが陰徳になり、やがて子々孫々にまで余徳が及んでいくのです。(p.18)
親切を受けていながら感謝しないのは明らかに非礼ではあるけれど、今回の東北大震災の義捐金について、台湾の皆さんは、陰徳を積んだと理解して、日本政府の非礼を許してください。普通、人はこれだけ尽くし世話をしたのだから感謝してほしいと思うことが良くあります。しかし、そうすると、もうそれは陰徳ではなくなってしまうのです。感謝や見返りを一切求めない。人の悦ぶことをしていれば、それが一番いいのです。こういうことの積み重ねが陰徳になり、やがて子々孫々にまで余徳が及んでいくのです。(p.18)
《参照》 台湾のみなさん、ありがとう。
(台湾の義援金が140億円を突破=それなのに感謝の新聞広告はなし―日本)
私を含め、感謝の足りない毎日だから、富士さんが日本人に対する怒りで噴火するかもしれない。東北大震災以降、殆ど毎日地震で揺れ続けているし、揺れの頻度は非常に高くなっている。殆どの日本人は、現在の繁栄が、過去に生きた日本人たちの恩恵であることにすら気づいていない愚かな民族に成り下がってしまっているからなのだろう。
戦争であれだけ負けて貧乏のどん底に落ちた日本が、なぜいまこれほどの経済大国になっているのかということです。その大きな原因は、戦死者の陰徳だと思うんです。でも、それにも限度があって、人々が真剣に弔わなければ今度は逆に呪いになって、そのときには日本の国は滅びてしまうでしょう。いまはもう限界ですね。ここで気が付かなければ、日本の未来はないと思います。(p.21)
【地鎮祭】
それは、土地の神さまに建てさせてもらうことをお断りして、無事に建つように祈っているわけでしょう。でも最近は、われわれが行くと、このあと宴会があるから、お祭りをできるだけ短くしてくださいとか言われますが、これは滅びる会社ですね(笑)。宴会はどうでもいいのです。祭りが大切なのです。(p.30)
地鎮祭など単なる形式として行えばいいと思うようになってしまうのは、目に見えないものの存在を感じていないからなのだろうけれど、そんなものではない。
【勝ち負けだけではない】
加納治五郎さんを創始者とする柔道の歴史はそんなに古くはないけれど、源流を辿れば古武道や身体道の流れから生じているのがわかる。故に、当然のことながら “神を行ずる” 意識は底流にあったのであり、本来そこにあったのは、人間対人間の勝ち負けではなかったのである。
“神を行ずる” のだから、本人が穢れていてはいけないし穢れた場所では行えない。
そもそも清らかな精神は、清らかな場所にしか住めないものである。
このあいだ柔道の山下監督の書いたものを読みましたが、あの人は本当に立派だと思います。どういうことかというと、柔道というのは、勝ち負けだけではない。人間的にすばらしいということを各国に知らせようではないかと、あることを本当にシドニー五輪でやったそうです。(p.34)
あまりにも汚れた会場を見かねて、監督自ら清掃を初めたら、会場全部が日本選手の手によって清掃されていたそうである。加納治五郎さんを創始者とする柔道の歴史はそんなに古くはないけれど、源流を辿れば古武道や身体道の流れから生じているのがわかる。故に、当然のことながら “神を行ずる” 意識は底流にあったのであり、本来そこにあったのは、人間対人間の勝ち負けではなかったのである。
“神を行ずる” のだから、本人が穢れていてはいけないし穢れた場所では行えない。
そもそも清らかな精神は、清らかな場所にしか住めないものである。
【自分の中に神があれば、自然すべてのものに神を見る】
日本人は祓いということを昔からやってきたのです。罪・穢れというのはすべて我欲のことです。神さまは素晴らしい神の姿に人間の身体をお造りになっておられる。ですから、その姿を隠してしまうツミやケガレを祓って消せば、当然本来の素晴らしい姿が表れてくる。そうして自分のなかにある神さまの姿を現そう、神様の素晴らしい美を認めようとしてきたのが日本人です。
外国人はそういうことをしないで、ただ神にすがろうとしますが、日本人は神にすがることはしない。逆に自分の我欲を祓って、神の姿を現そうとしてきました。ですから、自分の中に神があれば、自然すべてのものに神を見るということができるわけです。山にも木にも花のなかにも、すべてに神を見ることができる。これが日本人の八百万神ということです。どちらがというわけではありませんが、こちらのほうがすばらしい、これが真実だと思います。(p.62)
外国人はそういうことをしないで、ただ神にすがろうとしますが、日本人は神にすがることはしない。逆に自分の我欲を祓って、神の姿を現そうとしてきました。ですから、自分の中に神があれば、自然すべてのものに神を見るということができるわけです。山にも木にも花のなかにも、すべてに神を見ることができる。これが日本人の八百万神ということです。どちらがというわけではありませんが、こちらのほうがすばらしい、これが真実だと思います。(p.62)
【徳を積む】
《参照》 『なぜ勉強するのか?』 鈴木光司 (ソフトバンク新書)
【なぜ勉強しなければいけないの?】
人の幸せのために生きるとか、世の中を幸せにしていく。これは動物にはないことです。それが徳でしょう。・・・(中略)・・・ 人を幸せにすることに全力をあげ。それによって自分が磨かれてくる。これが本当の徳を積むということだと思います。(p.47)
人は、自分自身の幸せや老後の安定のために生まれてきたのではないし、そのために勉強しているのでもない。一生懸命勉強するのも、徳を積むためである。《参照》 『なぜ勉強するのか?』 鈴木光司 (ソフトバンク新書)
【なぜ勉強しなければいけないの?】
【世界文化遺産の春日大社】
著者さんは奈良県にある春日大社の宮司さん。
【中国の寺院建築文化は・・】
著者さんは奈良県にある春日大社の宮司さん。
平成十年、春日大社がユネスコの世界文化遺産に登録されました。 ・・・(中略)・・・
日本の建物というものは木造で、しかも春日大社は伊勢神宮同様、20年に1回新しく建て替える。式年造替といいますが、外国人にとってこういうものは遺産でも何でもないという考えだったわけです。それが春日大社に来てみたら、20年に1回新しくするんだけれども、そのなかに奈良の文化がそのままの姿で、現在も生き続けているということにユネスコの審査委員が仰天したわけです。こういうものは、日本以外に見られないということで、満場一致で世界文化遺産に登録されたのです。(p.73)
《参照》 『中国人民に告ぐ -痛憤の母国批判-』 金文学 (祥伝社)日本の建物というものは木造で、しかも春日大社は伊勢神宮同様、20年に1回新しく建て替える。式年造替といいますが、外国人にとってこういうものは遺産でも何でもないという考えだったわけです。それが春日大社に来てみたら、20年に1回新しくするんだけれども、そのなかに奈良の文化がそのままの姿で、現在も生き続けているということにユネスコの審査委員が仰天したわけです。こういうものは、日本以外に見られないということで、満場一致で世界文化遺産に登録されたのです。(p.73)
【中国の寺院建築文化は・・】
【米】
私は、稲からできたものを米 「こめ」 というのは、つまり「こ」 というのは 「おとこ」 を表し、「め」 というのは、「おとめ」 を表す。すなわち、男と女ということで、そこに生命という意味が含まれているのではないか。だから、いのちの根である 「いね」 からとれたものを、命の根源として、「こめ」 と称えたのではないかと思うのです。(p.70)
後編に、夫婦に関する神道的考え方を多く書きだしたけれど、この 「米」 に関する記述に深く関連している。
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