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 小室さんの著作には 「○○原論」 というタイトルの著作が少なくないけれど、文字どおり原論である。大学の一般教養や選択科目で読まされる 「経済原論」 とか 「教育原論」 なんて前世紀の遺物というか屁理屈と退屈の塊みたいで最高につまらなかったけれど、この 『中国原論』 は面白い。96年4月初版。
 人治国家といわれる中国社会の見方に関して、なぜそうなるのか明確な論拠を示してくれている。
 347頁から最後まで、15頁に渡ってまとめが書かれている。中国ビジネス関連の著作を読んできた人がこの部分を読めば、目からウロコが落ちる内容が記述されている。しかし、なぜそうなのかが納得できる根拠を理解するには、本文を読まなければならない。

 

 

【ポイントの概要】
 前書きに、ポイントとなる用語と関係がアウトラインとして示されている。
 本書は原論であるから理論を先にしたが、 ・・・(中略)・・・ 。
 理論は中国の歴史からとった。中国の歴史こそ中国理解の宝庫である。鍵、要諦である。
  ・・・(中略)・・・ 。
 中国社会の経緯は、タテの共同体(ゲマインデ)たる 「宗族」 と、ヨコの共同体たる 「帮」 である。
  ・・・(中略)・・・ 
 これらの共同体の存在によって、中国は幾重もの二重規範が入り乱れた社会になっている。(p.5)

 

 

【桃園の義盟は 「帮」 の誓い】
 『三国志』 は桃園の義盟で始まる。
 桃園で義盟を結ぶことによって、劉備、関羽、張飛の3人は義兄弟になったと書いてある。 ・・・(中略)・・・ 。義で結ばれた 「義兄弟」 の契りたるや、血を分けた本物の兄弟の契りなんかとは比較にも何もならないほど固い。金鉄のごとし。あるいは金鉄以上。(p.19)
 このような 「本当の兄弟」 とは全く違って、利害、争いから完全に自由であり、絶対に信頼でき、完全に理解しあい、生死を共にする。これが 「義兄弟」、帮(帮会)の中の人間関係なのである。帮の中の規範は絶対である。ここがポイント。(p.20)
 帮は共同体である。共同体の第一の特色は、二重規範にある。共同体の中の規範と外の規範は全然違う。
 桃園の義盟が結ばれた所 ⇒ 洛陽・関林廟

 

 

【帮の内と外】
 帮内の人間関係は、まことに生死を共にするものである。このことは、繰り返し強調した。では帮外の人間関係は、どういうことになるのだろうか。
 一言でこれを言うと ―――。
 何をしてもよろしい。窃取強盗ほしいまま。略奪、強姦、虐殺・・・何をやっても少しもかまわない。いや、かまわないどころではない。それが倫理であり、それが道徳である。(p.22-23)
 この記述に次いで、古代ベドウィンの行動様式と同じであることが書かれている。ベドウィンにとって略奪こそが生業なのだから、これをするのが倫理であり道徳なのである。これと同じだと。
 柵帮国家・中国にとって化外の地であるチベットは帮外なのだから、当然のごとく略奪的に併合されるのである。

 

 

【絶対規範と相対規範】
 関羽は赤壁の戦いで曹操を捉えながら逃がしている。かつて曹操に恩義があったからである。しかし、これは帮の契り(絶対規範)を破る行為になる。関羽と曹操の間の 「恩義の貸借」 は帮外のことであり、相対規範である。
 帮外の相対規範は ・・・(中略)・・・ 。言ってみれば、守るか守らないかは当人の自由。
 雲長(関羽)は義を重んずること山の如き人であるから、かつての日、曹操から受けたいくたの恩義・・・を思い起して、心を動かさぬはずはない。(p.36-37)
 関帝廟に祭られている関羽が中国人社会で人気があるのは、ここに示されているように “義の人” だったあらなのだろう。でも、このことは置いといて・・・

 

 

【中国社会の要諦】
 関羽の義がどうであれ、帮内の絶対規範は、帮外の相対規範より重いはずである。帮の中心にいる劉備はどうしたのか?
 むかしわれら三人が兄弟の契りを結んだとき、生死をともにせんことを誓いました。このたび雲長(関羽)が軍律に触れることをなしたのは確かでござるが、それではそれがしらの契りを全うすることができなくなりますゆえ、ここは一応、罪を預けておき、後日の功をもって償わせることにして下さらぬか。 (羅貫中)

 この論理こそ、中国理解の要諦。
  ・・・(中略)・・・ 。
 すなわち、帮の規範のほうが、公の法律(軍律)より重いことを立証した。
 これが中国。
 劉備にこう主張されるや、軍律厳正をもって鳴る孔明も、それ以上何も主張せず、「泣いて関羽を斬る」 ということにはならずに、黙って引き下がったのであった。
公の法律でも、そこのけそこのけ、帮会(パンフェ)が通る。 (p.46)
 この 『三国志』 の記述こそが、中国社会が人治国家である根拠を示している。
 公の法律(軍律)より、帮の人間関係による判断が優先する。だから 法治<人治 となる。
 孔明は、桃園の義盟には入っていなかったけれど、劉備と二人だけで “帮” を成していたのである。
 日本では、「泣いて馬謖を斬る」 ばかりが伝わっていて、「泣いて関羽を斬らなかった」 という、この重大な事実が見落とされているのである。

 

 

【情誼(チンイー)】
 人間関係において最強のものが 「帮」 であり、次に 「情誼」 という共同体である。
 価格は市場法則(例:完全競争市場だと、需要関数と供給関数との交点)だけによって決まる。人間関係は介入しないのである。これが資本主義。
 ところが、中国では、価格決定に情誼という人間関係が入り込む。売手の情誼が深いほど、安い価格で買手に売る。
 また、これからさらに情誼を深めたい相手には、より安く売る。 ・・・(中略)・・・ 。
 中国における賄賂も、このようなものだと思うとよい。(p.75-76)

 情誼のネットワークこそ、中国ビジネスマンの最大の資産なのである。
 ここが中国ビジネスのポイント。(p.120)
 中国人から直接買い物をすれば、情誼外の外国人に対しては、当然のごとく高く売りつける。2000年頃の直接経験では、台湾人には3倍、日本人には10倍と言っていた。
 また、賄賂に関してであるけれど、桃園の義盟は、金銭によって結ばれた契りではない。生死をともにする絆となる最高の人間関係は金銭によって成立しているのではない。だから、日本人からすれば露骨な賄賂社会と見える中国で、賄賂を贈ったからといって要求が通るというものではないのである。帮や情誼の様な人間関係が先に成立していないところでは、賄賂など人間関係を深めるための触媒機能しかもっていないということになる。一度や二度賄賂を受け取ったからといって外国人をすぐに信用するようになるわけがない。受け取る側の中国人は、日本人が賄賂に関してもつ “袖の下” 感覚ではないのである。だから、日本人は 「賄賂のダダ取りをされた」 と思う。
 面会約束でも、日本人なら、先約があればそれを優先するのが当たり前だけれど、中国人は人間関係を計っているから、先約を反故にしてまで付き合う意志のない日本人とは、いつまでたっても人間関係が成立しないと考えている。(p.112)  

 

 

【深い情誼】
 深い情誼の結合の人のあいだでは、いくら借金しても証文なんかいらない。証文も契約書もいらない。そもそも契約という概念がないのである。もちろん契約書の必要なんかない。すべて口約束であるがそれで十分。(p.126)
 帮、情誼、いずれもその内と外では別世界である。
 ここまでは、中国のヨコ社会の解析。
 以下から、タテ社会の解析になる。