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 小学生くらいの子どもをもつ家族のみなさんが読むのに相応しい本である。おじいちゃんおばあちゃんに会えるお正月前に読んでおけば、なお良かったかもしれない。

 

 

【お父さんは、たいへんなんだぜ~~~】
 ぼくは、子どもができてみて、
「狩に行って獲物を捕ってこなけりゃ、自分たちは死んじゃうんだ」
 ということを、初めて身をもって知りましたね。
 ・・・(中略)・・・ 
 定職(決まった仕事)がなければ部屋を借りられないということも知った。そういうことをたくさん味わってみて、「お金がないと子どもも養えないんだ」 って、当たり前のことに気がついたんですね。
 そこで、お金を稼いでみた。そうしたら、たいへんだった。かなりたいへん。ものすごく一生懸命。真剣。狩はたいへん。疲れるし、むづかしいんだ。 (p.34)
 この後に書かれている下記の記述がポイント。

 

 

【自分で稼げるようになるまで、がまんしろ!】
 そして、ぼくなりの狩をしながら思ったのは、子どもというのは、「親に口答えをしちゃいかん!」 という結論です。親に口答えする権利は、こどもにはありません。
 もし親に文句があるんだったら、
「自分の金で食ってみろぉぉぉぉぉお!」
 と、ぼくは叫ぶ! (p.36-37)
 経済的に親に保護されているのが当たり前、と子どもたちはみんな思っている。
 それはそれで良いとしても、「甘やかすな!」 ということである。

 

 

【キミたちには家族と話をする義務がある!】
〔問題〕 子どもが家族の一員として果たすべき義務とはなんでしょうか?
 ジャンジャン。
〔答え〕 親と話をすること。これなんですねー。家族のなかで話をすることが、キミに任された大切な仕事なんだよ。(p.44-45)
 子どもは、家族が家族らしくあるための、大事な役割を担っているキーマンなんです。つまりキミは “会話隊長” なんです。
 たったいまより、会話隊長に任命!!
「親と話をすると、いつもうるさいこと言われてめんどくさい。自分の部屋で音楽を聞いていたほうがいい」
 って、なっちゃう人もいるだろう。だけど、大まちがいだね。それは、会話隊長としての義務をほったらかしにすることだと思う。
 じつはぼくは、ぼくの子どもがそんなそぶりを見せたとき、
「話をしないんだったら、いますぐこの家から出ていってもらおう!」
 とまで強く言ったことがあります。
 まさかキミたちは、「今日、学校でなにがあったの?」 って聞かれて、「え別に、いいじゃん。うるさいな」 とか、「別に、ふつう」 とか言ってないだろうなぁ?
 そう言う人は、もう危険ゾーンですぞ。そんな人は、やがて、親に向かって 「ウザイ」 とか 「ムカツク」 とか言いだして、自分自身の人生を不毛にしていきます。親をも不幸にしていきますよ。(p.46-47)
 斉藤さんのこの強制力が素晴らしい。
 初期段階で強制的に矯正しておかないとね。
 そうすれば家族として末永い共生が可能になる。
 初動が大切。

 

 

【一番重要な問題】
 では、ここで、この本のなかで一番重要な問題を出すぞ。
〔問題〕 子どもが親と話をすると、どんないいことがあるのでしょうか?
 答えを発表します。答えは三つあります。まずは 〔答えその1〕  (p.47)
 3つの答えを知りたい方は、自分でこの本、買って読んでください。
 素晴らしい答えです。

 

 

【おじいちゃん、おばあちゃん】
 おこずかいをもらうだけの存在として考えている人がいるとすれば、それは、すっごくさびしいことだよね。正月に田舎に行って、お年玉をもらったら、「はい、さようなら」 って言う前に、おじいちゃん、おばあちゃんと話をするということ。これが、お年玉へのお返し、お礼だよ。会話隊長の役目をはたすことが、家族内でキミに任された仕事なんだから、おじいちゃんやおばあちゃんの昔話を聞くというのも、そりゃあ隊長仕事なんだよ。孫としての仕事。孫としての義務なんだ。(p.74)

 「そうしてくれたらいいのに」 と思っている親たちは多いのだろうけれど、案外口にしないから、斎藤さんは、あえて “義務” とか “仕事” とまで言って子どもを押し出しているのだろう。
 PCゲームやメディアが発達してどのようにでも情報が手に入りやすく自分一人の生活が容易な時代に、核家族として生活している子どもたちに対しては、まさに 「家族との会話は ”義務”」 とまで言って自覚させないと、必要性を感じないまま過ぎてしまうだろうし、家庭の結束は本当に緩んでしまうことだろう。

 
<了>

 

 

≪この本は、台湾・元智大学に贈られた≫

 
 

齋藤孝・著の読書記録