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 ちょっと前まで中心的な存在として将棋界を牽引してきた東西の両雄。名前まで同じである。お二人とも1940年前後生まれ。戦争の時代だから、クニという字を名前にもつ人が多かったらしい。 2004年8月初版。

 

 

【妬むことの男女差】
内藤 : 妬むということに関して言えば、ぼくは男女で大きな違いがあるようにかんじるなあ。ごくはこの方面での経験が浅いですよ(笑)。でも、女性は愛する男性に 「嫉妬してほしい」 と感じるけれども、男性は 「愛しているなら嫉妬はやめてくれ」 と思う、女性は妬いてほしいという気持ちがどうしても男より強いような気がする。ヨネさんはどう?
米長 : 同感。
内藤 : 男と女の感覚の違いというのは永遠のテーマだね。(p.15-16)
 このあと、ソフィアローレンが主演した 『鍵』 という映画に言及して男女差を確認している。
 男2女1の三角関係は、女性にとってユートピアで、
 男1女2の三角関係は、女性にとって修羅場同然なのだろう。
 いずれにしても三角関係というのは、次元の低い話である。

 

 

【才能とは】
内藤 : ヨネさんが考える 「才能」 とはどういうもの?
米長 : ぼくが思うに、才能っていうのは、努力に勝るもの、むしろ 「努力しない」 ということなんだ。将棋の世界でも、棋士はみな将棋が好きだから強くなるんですよ。もちろん、一生懸命やっているけれど、好きでやっている、いわば 「遊び」 なんです。「好きこそものの上手なれ」 というけれど、才能 = 遊びなんだね。
 一方、努力とは、ある目標のために嫌なことを一生懸命にやること。努力だけしても結局だめなんだよね。よく 「才能がなければ、努力しろ」 って言うけれども、そうではない、才能は 「好き」 ということなんです。(p.20-21)
 下記のリンク書籍と同じ考え方。
   《参照》   『努力しているヒマはない!』 宋文洲 (学研) 《前編》

               【努力】

 好きでやっている人に努力という意識はないのに、好きなことをやらずにつまらない人生を過ごすのが当たり前の人々は、好きでやっている人々の様子を努力していると理解する。
 前者は、好きだからしているだけ。
 後者は、苦労してするものと思い込んでいる。
 米長さんの考えに則せば、前者を才能と言い、後者を努力という。 「努力して才能を磨く」 という表現はあり得ないことになる。
   《参照》   『文体とパスの精度』  村上龍・中田英寿  集英社

             【ネガティブな発想は自分のどこにもないことに気づいた】

 

 

【ニワトリ語を聞きわける内藤棋士】
内藤 : 将棋を本格的に好きになるまでは、養鶏場の社長になろうと思っていて、ニワトリとばっかり遊んでいたからね。ぼくはニワトリの言葉がわかるんだ。5種類くらいあるんですよ。
米長 : ニワトリの声を、聞きわけちゃう! (笑)。 (p.54)
 子どもの頃、チャンちゃんの家にも放し飼いのニワトリがいたけれど、チャンちゃんにはニワトリの声を理解することはできなかった。餌を撒いて集まってきたニワトリにオシッコをかけて遊んでいたら、突如おチンチンをつつかれてひどく青ざめたことがある。生涯初のドン引きである。「なんちゅうことするの!」 と思ったけれど、ニワトリ語が分かったら、たぶんむこうも同じこと言ってたんだろう。 棋士界の天才と凡俗の阿呆の違いはこんなもんである。

 

 

【加藤一二三棋士】
内藤 : 加藤さんは、18歳で8段になった、大天才です。将棋一筋ですな。
米長 : さらに敬虔なクリスチャンでもある。
内藤 : ローマ法王にも謁見している。
米長 : それが生涯最高の喜びだというんですよ。
内藤 : 加藤さんは、対局中に賛美歌を歌うんです。 (p.74-76)
 「えぇ~~~、対局中に歌~~、しかも賛美歌~~!」 って思う。
 一二三(ひふみ)という神道的な名前を持ち、日本にしかない将棋という文化内で生きるプロでありながら、クリスチャンであり、しかも対局中に賛美歌。極めて印象深い。

 

 

【銀が泣いている】
内藤 : 関根名人に銀ばさみという手筋を使われて、銀が動けんようになってしまったときに出た言葉。(坂田)三吉さんはその銀をなんとか動かそうとする。しかし、いくら読んでもその銀は動けない。そのうちに 「銀が泣いている。三吉が銀になって泣いている。どない動いたらよろしいんや、言うて泣いている」 という台詞が出た。
 一生懸命になると、駒に対して 「申し訳ない」 という気持ちになるんですね。駒に感情が移るんです。(p.88)
 将棋の詳しいことは分からないけれど、この話はよく分かる気がする。
 人馬一体ならぬ人駒一体とでも言うのだろう。

 

 

【棋士タイトル・アラカルト】
内藤 : 将棋の 「名人」 と囲碁の 「本因坊」 は、どちらも4百年以上前までさかのぼる最も歴史のある称号だけど、囲碁では、いまや賞金の順で、棋聖、名人が格上とされているんです。ところが、将棋だけが、名人戦にこだわっている。他のタイトルをすべて合わせたよりも名人一冠が上だ、と言った人もいた。しかし、それはあり得ないことなんです。(p.128-129)
 一般の人はみんな 「名人」 が最上と思っているだろう。将棋の賞金ランキングでも、「名人」 はトップではないという。

 

 

【投了】
内藤 : おたがいに終わりが見えても、いつまでも投げない人もいる。
 明らかに詰みがある局面で、対局者が投了せずに動かんようになった。 ・・・(中略)・・・ 結局、対局者は残り時間を全部使い果たして、時間切れで投了した。感想戦で 「なぜこんなところで考えるんだ?」 聞いたら、「君が心臓麻痺でも起こしたら、おれの勝ちになる」 と、そういう答えが返ってきたという・・・。(p.155)
 ・・・・・・

 

 

【棋士という職業】
内藤 : しかし、考えてみれば、対局料だけで生活をするということは、月に三日しか働かんということです。平成15年(2003)年度に最も対極数の多かった森内君でさえ年に64局、全棋士を平均すれば、年に30局前後ですから、平均すれば月に27日は空いているわけです。(p.200-201)
 週休6日以上の休暇づくし!!!
 勿論、この世界で生き残るためには、残りの日々を研鑽に費やしているのだろうけれど・・・、それにしても、ヒマラヤしい。(← “羨ましい” の最上級。個人的な造語)
内藤 : 力量が違うとみなされていても、一生懸命に戦わないと勝てない。そもそもピラミッドの底辺にいようが、トップにいようが、プロ棋士同士の力はそれほど変わらないんですよ。
米長 : それに、尺度を変えて、「幸せ」 を基準にすると、このピラミッドはまったく意味のないものになってしまう。 ・・・(中略)・・・ 。
内藤 : 幸せになりたいと思ったら、幸せと感じる能力も磨かんといかんわけですね。不平不満ばっかり言っていてはいけない。
米長 : 勝負の女神だけに気をとられていてはいけない。このことは非常に大事なことなんです。勝つか負けるか、勝負というのは些細なことであって、大事なのは人生を司る女神に好かれているかどうかということ。(p.201-202)
 最後の米長さんの考えの続きは、下記の書籍などに書かれている。

     『米長邦雄 ともに勝つ』 加古明光

     『幸せになる教育』

 

<了>