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 さっと読むだけなら5分で読み終えてしまうような薄い書籍。だから、図書館にあったこの本を以前書架の前で立ったまま読んだことがある。その時は、殆ど感想がなかった。今回は、同じ図書館の読書室の椅子に座って、じっくり読んでみた。やや思うところがあった。読み手のその時の心の向きしだいである。
 この書籍にはページがない。
 

 

【永遠に生きると思って・・・】
 明日、死ぬと思って生きなさい。
 永遠に生きると思って学びなさい。


 これは、マハトマ・ガンジーの言葉。
 前の行は、死生観を直接に表わしたありふれた文章なので、特にどうとも思わない。
 おや? と思ったのは後ろの行である。
 死ぬことがないならば、すべての人は学ぶことの価値に思い至るのだろうか。
 今のままの人生が永遠に続くと思ったら、さすがにウンザリして少しは向上心をもとうと思うのかもしれない。

 

 スピリッチュアルな世界を語る人々にとって、「肉体は死んでも、魂は永遠に続く」 という認識は当然のことである。学んだものは魂によって持ち越され来世へと継承される。サボって向上しなかったら、来世も再びその地点からである。今世得意なものは、前世で既に習得し向上していたからである。向上してもサボってもそれなりに持ちこされるという厳然たる連続性の中で、魂は永遠に生き続けるのである。

 

 

【 Time & Emit】
 「Time is money」 とよく言いますが、
 「Time」 のスペルを逆さまに読むと、
 「Emit」 となります。
 「emit」 とは、「お札を発行する」 という意味です。
 まさに、「時は金なり」 なのです。
 ならば、 “時” の概念がなくなれば、その鏡像である “お金” の概念も消えるのか?
 そのはずである。
 現在の地球上の文明は、あまりにも一方向へと流れる時間の概念に支配されすぎている。
 現在の貨幣経済の文明様式が改まるとき、そこに住む人々の時間意識は、現代人のそれからすればかなり変容しているはずである。
 もしも、マヤ(時の民)の暦が終わっている2012年12月23日に時間が消えるのであるなら、それに従って貨幣経済も政治体制も変容してゆくはずである。
   《参照》   『RESET』 渡邊延朗 (ガイア出版)
            【マヤ文明 : 時間はフラクタルなエネルギー】
            【「最後の審判」ではなく「宇宙の周期律的な巡り合わせ」】
 

 

【良書なのだろうけれど・・・】
 この地球上に住む全ての人々に等しく与えられる時間を、日々使いきらねば消えて無くなってしまう預金になぞらえているのが、本書なのだけれど、大切な時間というだけで、この本には、次元(時間)を超えるアイデアとしての跳躍台が記述されていない。最初に書架の前で立ち読みした時に、 “平凡” と思ってしまったのは、この点である。

<了>