《前編》 より
【自由と安全保障】
社会的制度として見た結婚も、本質的な愛を犠牲にする安全保障制度なのだけれど、レベルの低い愛をダイナモとした幻想を膨らませて、偽装的な愛のシステムとなっていることに気付こうとしない人々が多い。
女性は働きだして経済的安全保障という男性の保護を必要としなければ、結婚しないという自由を選択するのは、愛の本質に適ってもいる。
安全保障は不安や恐れを基底としたシステムである。
自由は愛を基底として成り立つシステムである。
愛と恐れは対極的な位置にある。
完成された愛の概念を揺るぎなく保持しえぬ地球人が創る社会は、対極側と入れ替わってしまう傾向がある。
根底となる文化的な神話に誤りがあるからである。
たとえば、アメリカという国はどのように生まれたか。「自由を、しからずんば死を与えよ」 ではなかったか? ところが、国民はその自由を放棄し、あなたがたは人生の自由を放棄した。どちらも同じ目的のため、安全保障のためだ。あなたがたは人生を ―― 生命そのものを ―― 恐れるあまり、自分の本来の性質を安全保障と引きかえに放棄したのだ。
結婚という制度は、安全保障しようとする試みだ。政府と同じだね。じつは、両方の内容は同じなんだよ。お互いの行動を律しようとする人工的な社会制度だ。(p.350)
自由は愛と不可分なものであるけれど、自由を守る目的で創られた自由主義国家が、安全保障という名目でしだいに国民の自由を奪うようになる。過度な搾取から人々を解放し生存の安全を保障しようとした共産主義国家も、分配する権力者の横暴が肥大化し国民は自由を完全に失っていった。つまり、自由(愛)を目的としながら自由(愛)は失われる。結婚という制度は、安全保障しようとする試みだ。政府と同じだね。じつは、両方の内容は同じなんだよ。お互いの行動を律しようとする人工的な社会制度だ。(p.350)
社会的制度として見た結婚も、本質的な愛を犠牲にする安全保障制度なのだけれど、レベルの低い愛をダイナモとした幻想を膨らませて、偽装的な愛のシステムとなっていることに気付こうとしない人々が多い。
女性は働きだして経済的安全保障という男性の保護を必要としなければ、結婚しないという自由を選択するのは、愛の本質に適ってもいる。
安全保障は不安や恐れを基底としたシステムである。
自由は愛を基底として成り立つシステムである。
愛と恐れは対極的な位置にある。
完成された愛の概念を揺るぎなく保持しえぬ地球人が創る社会は、対極側と入れ替わってしまう傾向がある。
根底となる文化的な神話に誤りがあるからである。
【人類を誤らせている文化的な神話】
但し、誤解してはいけないのは以下の点である。
あなたがたの第一の文化的神話は、人間が本質的に悪だと語る。原罪という神話だ。 ・・・(中略)・・・ 。第二の神話は、第一の神話から必然的に生まれてくる。「適者生存」 という神話だ。 ・・・(中略)・・・。
だが、あなたがたの 「基本的な本能」 は生存ではなく公平であり、ひとつになることであり、愛だ。それがすべての知覚ある存在の基本的な本能だ。細胞に記憶されている本来の性質だ。
だから、第一の文化的神話は崩壊する。あなたがたは基本的に悪ではない。「原罪」 を負って生まれたものでもない。(p.358)
第一に文化的神話が崩壊するから、第二の神話も生じない。適者生存を正当化する競争の原理は、本来の人間の細胞に記憶された性質に合わないのである。だが、あなたがたの 「基本的な本能」 は生存ではなく公平であり、ひとつになることであり、愛だ。それがすべての知覚ある存在の基本的な本能だ。細胞に記憶されている本来の性質だ。
だから、第一の文化的神話は崩壊する。あなたがたは基本的に悪ではない。「原罪」 を負って生まれたものでもない。(p.358)
但し、誤解してはいけないのは以下の点である。
社会的な面で言えば、「公平」 と 「平等」 とのちがいを理解することが重要だ。平等を求めることも、平等であろうとすることも、知的存在の基本的な本能ではない。それどころか逆だ。
同一性よりも独自性を表現する、それが生きとし生けるものの基本的な本能だ。真に平等な社会の創造は、不可能なばかりでなく、望ましくもない。真の平等を、言い換えれば経済的、政治的、社会的な 「同一性」 を実現しようとする社会のメカニズムは、最も偉大な考えと最高の目的に全く反している。(p.360)
同一性よりも独自性を表現する、それが生きとし生けるものの基本的な本能だ。真に平等な社会の創造は、不可能なばかりでなく、望ましくもない。真の平等を、言い換えれば経済的、政治的、社会的な 「同一性」 を実現しようとする社会のメカニズムは、最も偉大な考えと最高の目的に全く反している。(p.360)
【自分のために、ひとと一緒に】
愛があふれる存在になりたいなら、ひとと一緒に愛があふれる行動をするだろう。ひとのためではなく、ひとと一緒に。このちがいに注意しなさい。ニュアンスのちがいをくみとりなさい。自分のために、ひとと一緒に愛があふれる行動をする。それによって、あなたはほんとうの自分についていだく最も偉大な考えを実現化し、体験する。(p.366)
このニュアンスの違いは、この本を通読すればよく分かるだろう。この本の中には、 “神は愛であり、人間は神の一部であり、人間と神は 「ひとつ」 である” という表現が頻繁に登場している。
だから、他者のために何かをするというのは、ありえない。あなたの決断という行為(act)は、文字どおり演技(act)だから。あなたは演じている。ある役割を創造し、その人物になる。ただし、これはふりをするのではない。実際にその人物になるのだ。あなたがた人間がどんな存在になるのかは、自分で選択して決めている。
シェイクスピアは 「世界は舞台だ、人間は役者だ」 と言った。 ・・・(中略)・・・ 。
さらにこうも言った。「自分に忠実であれ。そうすれば、あとのことは自然についてくる。夜が昼に続くように。他人に対してもいやでも忠実にならざるをえない」
自己に対して誠実で、自己を裏切らなければ、ひとに 「与える」 ように 「見えて」 も、実際には 「受けとって」 いることがわかるだろう。じつは、自己に与えているからだ。
じつは他者に 「与える」 ことはありえない。理由は簡単で、「他者」 というものはないからだよ。我々すべてが 「ひとつ」 なら、あるのはあなただけだろう。(p.366-367)
神の上記の語りについて、著者は、
シェイクスピアは 「世界は舞台だ、人間は役者だ」 と言った。 ・・・(中略)・・・ 。
さらにこうも言った。「自分に忠実であれ。そうすれば、あとのことは自然についてくる。夜が昼に続くように。他人に対してもいやでも忠実にならざるをえない」
自己に対して誠実で、自己を裏切らなければ、ひとに 「与える」 ように 「見えて」 も、実際には 「受けとって」 いることがわかるだろう。じつは、自己に与えているからだ。
じつは他者に 「与える」 ことはありえない。理由は簡単で、「他者」 というものはないからだよ。我々すべてが 「ひとつ」 なら、あるのはあなただけだろう。(p.366-367)
そういうのって、ときどき、言葉の 「トリック」 じゃないかと思いますよ。言葉をあやつって、意味を変えてしまっているんじゃないかって。(p.367)
これに対する、神の回答は、
【概念をあやつって経験を変える】
トリックではなく、魔術だよ! 言葉をあやつって意味を変えているのではなくて、概念をあやつって経験を変えているのだ。あなたがたの経験はすべて概念にもとづいている。概念は理解に、理解は神話にもとづいている。神話、つまり教えられてきたことだ。
いいかね、現在のあなたがたの文化的神話は、あなたがたの役に立たない。あたなたがたがめざすところへ、連れていってはくれない。
あなたがたがめざすという場所がうそなのか、それともそこへ向かってはいないという事実に目をつぶっているのか、どちらかだね。個人としても、国としても、種としても、人類としても。(p.367)
いいかね、現在のあなたがたの文化的神話は、あなたがたの役に立たない。あたなたがたがめざすところへ、連れていってはくれない。
あなたがたがめざすという場所がうそなのか、それともそこへ向かってはいないという事実に目をつぶっているのか、どちらかだね。個人としても、国としても、種としても、人類としても。(p.367)
誤った神話に基づいて理解がなされ、その理解に基づいて概念が形成され、その概念に基づいて経験がなされる。
神話⇒理解⇒概念⇒経験。
誤った神話に基づいたプロセスから生成される経験を変えるためには、その中間で生成される概念を操って経験を変えるしかない。
きわめて真っ当な手段。
【中途半端な考えでは、進化できない】
あなた自身が自分の最高の考えまで上がらないかぎり、人類が最低の考えから離れるチャンスはない。(p.395)
わたしがあなたを創造したのは、あなたがわたしを再創造できるようにするためである。
これがわたしたちの聖なる仕事である。これがわたしたちの最も偉大な喜びである。
これがわたしたちの存在理由である。(p.397)
わたしがあなたを創造したのは、あなたがわたしを再創造できるようにするためである。
これがわたしたちの聖なる仕事である。これがわたしたちの最も偉大な喜びである。
これがわたしたちの存在理由である。(p.397)
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