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 阿木燿子さんが解説で以下のように書いている。
 「神との対話」 三部作 は、私にとって聖書である。学生時代に接した聖書よりも、ずっと読みやすいし、わかりやすい。何よりもユーモラスで、思わずクスクス笑いがもれるところがよい。神様が身近に感じられるなんて、最高である。この本のおかげで、私は生きることが、楽しくなった。(p.440)
 
 
【魂は、理性の思いも及ばないことを知っている】
 このことを覚えておきなさい。魂は創造し、理性は反応する。 「この瞬間」 の体験とは、あなたが何も意識しないうちに、神から送られてきたものであることを、魂の智恵は知っている。
 現在(pre-sent)とは、前もって(pre)送られた(sent)という意味なのだ。あなたが探し求めている瞬間に、それどころか、探し求めようと考える前に、わたしは回答を与えている。一瞬、一瞬はすべて、神の輝かしい贈り物だ。現在はプレゼント(贈り物)なのだ。魂は、誤った考えを癒し、「ほんとうの自分」 を正しく体験するための完璧な環境、完璧な状況を本能的に求める。魂はあなたを神のもとへ戻そう、わたしの内へ戻そうとしたがる。
 魂は自分を体験的に知りたがる。自分を体験的に知ることを通じて、私を知ろうとする。魂はあなたとわたしが一体だということを知っているからだ。 ・・・(中略)・・・ 。だから、大きな決断をするときには、理性の外に出なさい。魂の探究をしなさい。魂は、理性の思いも及ばないことを知っている。(p.46-47)

 

 

【創造とは、選択の連続】
 毎分毎分、あなたは自分の現実を創造している。あなたは今日、何か決意しても、明日はそれを選択しなかったりする。だが、<マスター>の秘密はそこにある。つねに同じことを選択しつづける、それが秘密だよ。 ・・・(中略)・・・ 。何度も何度も、あなたの意志が現実になるまで。 ・・・(中略)・・・ <マスター>にとっては、創造は瞬間的だ。意志と体験の間隔がなくなったら、<マスター>に近づいたと思えばいい。(p.40-41)
 決意の後は、連続的に選択し続ける。それが瞬間的に創造をなせる<マスター>に近づく方法。

 

 

【神学】
 人生はテストだ、試練だ、自分が 「価値ある存在」 かどうかを知ろうと試みる時間だと考えれば、あなたがたの神学は筋が通る。だが、人生は機会であり、自分に(いまも、これまでも)価値があるということを発見する ―― 思い出す ―― プロセスだと考えれば、あなたがたの神学はとても、まともとはいえないよ。逆の考え方をして、神は利己的で、関心や賛美、評価、愛を要求する、そして、そのためには殺すことも辞さないと考えれば、あなたがたの神学はつじつまがあうようになる。
 神は自我もなければ何かを必要とすることもない、存在するすべての源であり、すべての知識と愛の座であると考えるならば、あなたがたの神学はばらばらに崩れる。
  ・・・(中略)・・・ 。
 いいかね。人生の目的は神を喜ばせることではない。人生の目的は、自分とは何者であるかを知ること、自分を再創造することなのだよ。(p.93)
 アメリカでテレビを通じて喧伝されているメガチャーチのファナティックな神学のデタラメ性を言っているのであろう。しかし、クリスチャンでない日本人の中にも、人生の目的を神と共にする再創造とは考えず、他罰的ではないにせよ神仏を自省的な裁き役として考えてしまっている人は少なくないのだろう。それは明らかに間違いである。神は裁きもしなければ判断すらしない、創造するのみである。

 

 

【いまあるシステム下の社会】
 たいていのひとは、自分とちがうことがあると 「間違っている」 と決めつける。宗教的な相違はとくに認めないが、ほかにも社会的、経済的、文化的な相違を許さない。
 上層階級は下層階級を食い物にしていながら、前よりは良くなっているじゃないかという勝手な理屈をつけて正当化する。上層階級はそうやって、恐るべき状況がわずかばかり改善されたことを理由に、ひとが真に公正に扱われるとはどういうことかを無視し、きたない利益を得る。
 いまあるシステム以外のシステムを提案すると、たいていのひとは嘲笑い、競争や殺人や 「勝者による戦争の利益」 が、偉大な文明を築いてきたのだと反論する! (p.111)
 この本の中には 「力は正義である(power is justice)」 という欧米人の思考基準が何度か問題にされているけれど、日本文化の中で生きてきた純粋な日本人にとっては、「倫理と紐付かない “正義” などあるはずない」 と思うことだろう。
 しかしながら、世界経済を見る視点に狎れてくると、日本人であっても倫理という基準を脇に置き忘れて、力によって推進されてきた格差社会を是認する側に立ち、いまあるシステム以外の社会形態を考えようともしなくなるのである。暗黙の戦争肯定派である。それぞれに魂が腐臭を発している自覚がなくなっている。
 かつてのアメリカは、現在のように悪い国ではなかった。

 

 

【友愛の国】
 アメリカが夢とヴィジョンを託した個人の責任という考え方をつきつめると、最も深く、最も高度な意味での友愛という概念に行き着く。アメリカが偉大な国になったのは、誰もが自分が生きるために闘ったからではなく、だれもがみんなが生きる責任を引き受けたからだ。
 アメリカは飢えた者に背を向け、困っているひとに 「ノー」 と言う国ではなかった。疲れた者、家のない者を両手を広げて迎え入れ、豊かさを世界と分かち合う国だった。
 ところがアメリカが偉大になると、アメリカ人は強欲になった。全員ではないが、多くがそうなった。しかも、そんな人びとがますますふえていった。(p.167)
 アメリカは友愛(フィレオ)から無償の愛(アガペ)へとは進化せず、逆に自己愛へと、愛のレベルを下げてしまったのである。アメリカだけのことではない。日本も同じであろう。
 鳩山政権は、発足当初 「友愛」 を語っていたし、それを実行した。少なくとも日本を従来の方向とは異なった良き方向へと舵を切る役割は果たしたのである。

 

 

【肉体、精神、魂】
 一面的な存在として生きていると、肉体的なことがらにどっぷりと染まってしまう。
 金。セックス。力。所有。肉体的な刺激と満足。安全。名声。金銭的な利益。
 二面的な存在として生きていれば、精神的なことがらにまで関心がひろがる。
 友情、創造性、新しい考えや思いつきという刺激、新しい目標、新しい挑戦、個人的な成長。
 三つの面をもつ存在として生きたとき、あなたはようやくバランスがとれる。魂に関することがらに関心をもつようになる。霊的なアイデンティティ、人生の目的、神との関係、成長への道、霊的な成長、最終的な運命。意識が高まれば高まるほど、あなたは自分と言う存在のあらゆる側面を充分に認識するようになる。成長とは自分のある面を捨てることではない。焦点をひろげることだ。ある側面にばかりかかずらうのをやめること、すべての面を真に愛し、評価することだ。(p.184)
 “焦点をひろげる” という表現は妙であるけれど、いわんとすることは分かる。
 ピンボケすることなく3つの面をはっきり見つめていないと、この世界ではうまく生きてゆけない。