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 技術的なことから始まって、さまざまな視点で鉄道のことが記述されている。
 < 台湾・元智大学図書館 にあった本 > 

 

 

【軌間の問題】
 鉄道のレールの間隔は英語ではゲージといわれるけれど、日本語では軌間である。
 効率的であろうとすれば軌間は、世界共通がふさわしいけれど、それぞれの事情や思惑があってバラバラである。
 スペインは、いつもフランスから攻撃を受けるという脅威を感じていました。・・・(中略)・・・。同じようにロシアも、ナポレオンによって侵略されたという経験を持っていて、標準軌間とは異なる軌間を採用したのです。
 ・・・(中略)・・・。
 軌間の問題は、このように戦争や政治の問題といろいろに絡み合っているのです。(p.20-21)
 ヨーロッパは標準軌で、スペインとロシアは広軌。日本の新幹線は標準軌で、新幹線以外は狭軌を用いている。
   《参照》  『鉄道地図から読みとく秘密の世界史』 宮崎正勝 (青春出版社)
           【レールの幅】
           【ロシアとスペイン】

 

 

【ロングレールの技術的問題】
 レールの継ぎ目は少ないほうが、騒音も少なく乗り心地もよい。そこで1本が1000m以上のロングレールを考案したけれど暑さでレールが延びてフニャフニャに曲がってしまうという事態が生ずる。これでは電車は脱線してしまう。この問題を解決したのが、レールの纏足とでもいうような方法だった。
 木製の枕木ではなく重いコンクリートの枕木を使って、その枕木を道床に半分以上埋め、それに1000m以上の長さのレールを固定させると、レールの膨張収縮が、その両端のそれぞれ10mくらいの長さでしかおこらないということでした。その結果、木製の枕木ではなく、重いPSコンクリートの枕木を使えば、ロングレールの敷設が可能だということになりました。(p.25)
 PSコンクリートについて、鉄筋の入ったものという説明しかされていないけれど、正しくはプレストレスト・コンクリートだから、鉄筋を引っ張った状態で生コンクリートを打設し、コンクリートが固化する過程で鉄筋の収縮力を用いて緊縮させつつ形成される、非常に高強度のコンクリートのことである。
 ちなみに、東北新幹線などでは、PSコンクリートの枕木さえ用いず、コンクリート道床に直接レールを固定するような手法もとられているという。

 

 

【2種類のディーゼル】
 ディーゼル電気機関車の場合、発電所を積んでいるようなものですから、コストは非常に高くなります。また、とても重くなりますので、路線の強度が必要になります。ところがドイツ式の液体式ディーゼル機関車の場合では、比較的軽い機関車を造ることができます。(p.35)
 ディーゼルに2種類あったとは知らなかった。
 現在の日本のディーゼルは、殆ど液体式である。アメリカ中を爆走しているアムトラックのように、先頭の車両がやけに大きなのがディーゼル電気機関車なのだろう。

 

 

【動力配置】
 だいたい日本とヨーロッパでは、動力分散と動力集中が対立しているというのが現状です。(p.36)
 日本の普通の電車や新幹線は、すべての車両が動力を有する分散方式で、フランスのTGVは、先頭車両と最後尾車両だけに動力がある集中方式である。
 この違いは、地形によるのだろう。平野部の多いヨーロッパでは、直線区間が多く取れるけれど、日本のように山がちでカーブが多くならざるをえない地形では、遠心力を考慮しなければならないはずである。
 集中方式では、動力のない車両は遠心力で振り回されてしまう。すべての車両に、前方へ向かう推進力(動力)があれば、遠心力は緩和されるのである。つまり脱線防止の目的から、日本は分散方式を採用しているのではないだろうか。

 

 

【近代化初期の貨物輸送】
 高崎~品川間が開業した1885年からすぐに、鉄道が繭・生糸を運ぶ輸送ルートの中心になってしまいました。これは、日本鉄道会社の側も考えていなかったことでした。そして、この貨物輸送による収益が、非常に大きなものになっていくという結果が生まれました。(p.74-75)
 中央線の八王子~諏訪間も、当時の日本の輸出品であった生糸を運搬するために重要な路線だった。ゆえに日露戦争が始まってしまったにもかかわらず、残っていた甲府~諏訪間は特例として政府が造ったということも書かれている。(p.101)
 世界で最初に産業革命が興ったイギリスでも、リバプール港へ向かう最初の蒸気機関車が運んだものは輸出用の繊維製品だった。どの国であれ、近代化初期の段階で興るのは繊維産業である。

 

 

【工作機械の自立】
 日本の工作機械の自立は、・・・(中略)・・・、1930年代といってもよい。しかし、国内で工作機械を作ることができるようになっても、工作機械の耐用年数はまだ低かったのです。(p.128)
 1960年代から1980年代の初めにかけて、全国の工場を見て回ると、1980年製のイギリスの工作機械などはざらに使われていました。・・・(中略)・・・だいたい70年から80年経ってもイギリス製のものは使えるという話しを聞きました。(p.127)
 今日では、製品製造技術も工作機械技術も世界の一流となっている日本ではあるけれど、およそ1世紀も前に造られたイギリス製工作機械の品質に追いつけたのは、ほんの数十年前ということらしい。
 工作機械における№1の一例をあげるなら、自動車のボディーをブレスする金型という工作機械であるけれど、今日、世界の最高品質を誇っているのは群馬県にあるオギハラという中小企業である。
    《参照》  『日本と世界の大潮流』 長谷川慶太郎 (PHP研究所)
           【オギハラという町工場】

 

 

【鉄道の国営化】
 1910年度の統計で、全国の鉄道の営業距離の約90%が結果として国有鉄道になったのですから、路面電車のような軌道を除けば、どの鉄道も国有鉄道になったようなものでした。(p.133)
 日本の鉄道は、クラウゼビッツの戦争論に即して最初から国家が計画的に敷設していたのだとばかり思っていたから、この記述は意外である。
 とはいえこの国有化の時期は、帝国主義時代のまっただ中なのだから、戦争も視野に入っていた国有化のはずである。しかし、鉄道が国有化され、物資輸送規格の統一化がなされたことは、それぞれに鉄道を敷設していた個々の産業にとても決して不利益なことではなかったはずである。なぜなら、ヨーロッパを主戦場とする第一次世界大戦で疲弊した植民地宗主国は、その後、アジアにはあまり手が回らなくなり、その分、日本全体の経済産業は盛んになっていったはずだからである。
 
 
【鉄道と近代化】
 大量輸送の態勢が、1910年代の終わりから20年代の初めにかけて現れてきます。ふつう、大量輸送手段は、とくに重工業部門でも要求されますが、この場合には化学工業部門の発展が、そのような大量輸送を求めていたということに注意しておく必要があると思います。肥料にしてもセメント、石炭の輸送にしてもそうだし、とくに化学工業の原料輸送、製品の輸送、これは重工業というか機械工業の部門よりも、もっと切実に鉄道に依存する態勢をとることになりました。(p.174)
 近代化に必要不可欠なものといったら、食糧増産のための肥料、インフラ整備のためのセメント、そして根本的に重要なのはエネルギー源としての石炭・石油である。
 日本では石油はほとんど産出されなかったけれど、アメリカではエネルギー源が石炭から石油に転じる過程でも石油を樽に入れて鉄道輸送していたから、今日でも石油の単位はバレル(樽)といわれている。
 石油でビック・ビジネスができると踏んだ初代のロックフェラーは、パイプライン輸送の案を持つ人を闇に葬り、樽の大量生産と鉄道の支配によって、今日の世界皇帝ともいうべき富を築いていった。それほどに鉄道は近代化に関して大きなウエイトを占めていたのである。
    《参照》  『青い血族 ロックフェラー財閥の野望』 ギル・リービル メディア・ファクトリー
              【スタンダード石油】

 

 
<了>