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 この書籍は 『キルギシアからの手紙』 というタイトルで、2005年にイタリアでベストセラーになったのだという。イタリア版の 『お金のいらない国』 と言えそう。

 

 

【生産効率は上がったのに・・・・】
 新しいテクノロジーが生産効率を飛躍的にアップさせたのに、労働時間は元のまま変わっていないことに、僕達の社会では殆どの人が気づいていない。 (p.33)
 数百年前まで、第一次産業(農業)がメインの時代ならば、生涯働き続けても食べることだけでイッパイイッパイだったはず。しかし現在は、農作業も機械化されたことで、大規模な耕作地を持つ農民の生産性は上がり労働時間は減って余暇を十分楽しめる生活が手に入っているはずである。しかし、この様な恵まれた理想的な農民の数は、あまりにも限られている。
 工業労働者の場合はどうだろうか。機械化されロボットが何百何千人分もの富を稼ぎ出しながら、労働時間は変わっていない。労働時間は変わらずに不要になった人員を削減して、限られた人数の社員と幹部のみが裕福な生活を手にしている。
 日本全体の収益額は減っていないのに、労働時間とお金は平等に分配されず、仕事のない人々は食べることもできない。コンビニなどで残ったものは多量に廃棄されており、本来は食べるものなどいくらでもあるのに・・・である。資本主義は労働と富の分配にまったく無関心である。
 しかし、現在の日本は、これが普通であると認識されている。現状のままで、「働かざる者(仕事がなくて働けない者)、食うべからず」 と言うのならば、ロボットを壊して生産効率を下げ人手による産業形態に戻すしかないのではないか。
 西欧の一部の国では、労働時間の分配(ワークシェアリング)という考え方を既に取り入れている。これらの考え方を取り入れる気配のない日本って、けっこう確立した “エゴイスティックな国家” である。

 

 

 以前、中国人に 「何故、日本人はそんなに働くのか?」 と聞かれて、 「中国人の孔子さんが言ってるじゃぁないですか、 『小人閑居して不善をなす』 って。 中国人は働かないから犯罪者が多いんでしょう」 と、皮肉にすり替えて答えたことがあるけど、まっとうに日本文化に則して答えるならば、 「働くとは、傍を楽にさせること」 と回答すべきであったのだろう。しかし、どちらにしても、主体的自己の存在意義を正しく見つめて回答したことにはならない。人はすべて小人であるわけではなく、小人を抜け出るべく向上すべきものであり、傍を楽にさせてなお見出しうる “閑” な時間を “自己の向上“ に充てるのが主体的で正しい意味の人生観というべきなのだろう。
 「家族を養うために死ぬまで必死で働き続けました。けれど精神的レベル・知的レベルは生まれた時と殆ど同じです」 と言うのでは何ゆえの人生なのかと思ってしまう。「家族のことなど目もくれず、1日24時間 “芸の道” に邁進していました」 と言ったとしても、後者の方が 「自己を高め向上させる」 という視点でははるかに上である。
 しかし、このような両極のあり方は、低生産性時代、ないし、ワークシェアリングがまったく行われていない状態だからこそ生じるのであって、1日3時間労働の国であれば、誰もが扶養の義務を免れ、全員が芸術や教養などの向上に充てる時間を持つことができるのである。

 

 

【人間本来の成長】
 本来の成長を妨げられうまく成熟できなかった場合、人は誰かに頼らないとやって行けない。さらには、問題やフラストレーションをゆがんだ形でしか共有できない一生を送るはめになってしまうんです。
 そうではなく、男性であろうと女性であろうと、なにをするにしても、まずは 「人間」 のレベルに到達しなければならないんですよ。言い換えれば経済的にも心理的にも感情的にも自立した人間になるということですね。
 こうした見地に立てば、二人の人間が生活を共にしようということになったとき、依存し合うことなく、互いに自由を与えあうことができるんです。 (p.108)
 “経済的にも心理的にも感情的にも自立した人間” そして、最後に書かれている “依存し合うことなく、互いに自由を与えあうことができる(関係)” というのは重要だろう。
 しかし、今日の経済的な状況下では、資本主義のダイナモであるモットモット精神の尻尾が切れていない欲求水準は横ばいであっても、現実の実質・実態・実情は明らかに下降線を描いているから、欲求と現実の乖離は甚だしい。このままの社会構造では、自立した人間も、依存しない人間も、自由を与えあう人間も、おそらくは輩出不可能である。逆に排出されるのはストレス過多の余裕のない人間だけ。心弱き者達はボカスカ自殺してしまう。
 

【企業と公務員の1日3時間労働】
 世界中の国家が、キルギシアのような国になるべきである。世界が一挙に転換するのは難しいけれど、集団的に同時に意識転換をなしうる企業ないし組織から個々に実現してゆくことは可能である。決して夢物語などではないはず。
 企業が有する福利厚生施設を、地域に還元(解放)することを約束した企業には、法人税の無税を保証し、そのような企業には、労働者に対して、1日3時間労働と、年収200万円を条件に人を採用することを公的に認可すればいいのではないだろうか。 現在の経済状況下で、日本の平均年収である550万円(?)ライン確保に拘っていたのではこの案の実現はない。余った21時間を有効活用するために、使われていない公共の箱物施設や企業が解放した福利厚生施設を用いて、サロンを開き、講師を招聘したりなどして、できれば社会貢献案を絞り出して知恵を提供するなど、公共に対する改善案一人1週間に最低1案を義務化し、それ以外の時間は個人の向上に供すべきである。(トヨタ等の企業では、職場改善案の提出はあたり前に実施していることである)
 企業といわず、地方公務員こそ、この案を実施すべきである。地方行政公務員ほど職能を必要とぜず、過小な労働量に対して過大な賃金を受け取っているところはない。公団とか社団法人などの準公的機関に出向勤務したことのある民間企業人は、「公務員に職能は殆どなく、実質的に何もしていない。なのに給与は一人前を当然のごとく受け取っている。公務員給与の実質は、生活保護者に宛てられる支給費と同じようなものだろう」 と言っている。
             【税収の半分】
 今日の公共図書館などではアルバイトを多用しているけれど、その分、正勤者の労働時間は激減しているのだから、労働時間に対する労働対価の実質は飛躍的に高額化し格差大を実現しているのである。(学校の職員室や、図書館の勤務室にカメラを設置してみるがいい。日本中で、出勤すらしていない露骨な労働時間詐欺がまかり通っているはずである)
 他者に雇用機会を与えるという名目下で、非常勤やアルバイトや社団法人経由の派遣人員を増やし、法律に抵触するほどに自らの労働時間を減らしても、人件費は減らさない。民間の失業者が増えている時代に、雇用促進の善意でカモフラージュした公務員の税金過食は、実にお上がやりそうな御立派な善意である。さして職能を必要としない正規公務員の労働賃金こそアルバイトの時給に換算して平準化し、労働時間も減らしたワークシェアリング型の未来社会の実現を可能にするモデルケースとして先陣を切らせるべきであろう。

 

 と、まあ書きたい事を書いているけれど、数日前のニュースで、「公務員の残業代が引き上げられた」 とかいうニュースが伝えられていた。現実はこんなものである。
 時代劇のお上ならまだしも、現実のお上は、理想の国実現のために率先して範を示すような気高い種族ではない。絶対に。永遠にパラサイトである。
 
 
<了>