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 クラシックなんてほとんど分からないし、さして興味もないけれど、 「読もうと思わないものを読む」 のが、読書術の “奥義” であるから、敢えてこんな本を手にする。
   《参照》   『「逆」読書法』   日下公人  HIRAKU
              【逆読書術の ”奥儀” 】

 

 

【著者の時代】
 1886年にスイスのバーゼルで生まれた (p.133) 著者。父親はボヘミア出身の音楽家で、「1826年生まれのわたくしに父は冗談半分にはベートーベンの同時代人だと呼ばれることもできるだろう」 (p.31) と書かれているから、著者は、父親が60歳の時の子供ということになる。

 

 

【芸術とは】
 芸術とはより高度の次元における生命の反映なのであって、そこでは偶然なるもの、第二義的なるものは、日常生活の平板さのなかで齷齪している世俗的人間の眼にはかくされているところの一つの合法則性、ある種の内的美 ――― そして真理とはほかならぬこれなのだ ――― のために消えうせてしまうのである。(p.14)
 チンプンカンプン・・・・・・・でもないか。

 

 

【芸術家とは】
 「芸術家」 とは、大自然の久遠のテーマから流れ出るところの、つねに新しい無数の変奏に対する感受力をもっている者のことである。芸術家はこの経過、この過程を、たかめられた形式で、音・光・リズムの躍動のなかに描きだし、色合いや印象の変化のなかに、また、線や釣り合いや、そして精神的な論理のなかに表現する。だから、芸術は、聖なる生命の、物質をはなれた反照なのである。(p.16)
 これなら分かる。

 

 

【モーツァルトと老子】
 モーツァルトの音楽においては、内容、形式、表現、ファンタジー、楽器的効果など、いっさいがごく単純な手法によって達成されていることに気づくのである。この日は訪れるとき、君はあらゆる模索、あらゆる欲求から完全に救われるのだ。ここには、老子の言葉の意味で、真に超克をなし遂げたなんぴとかが立っているのである。老子はこう言っている。

 欲せんとすることなくして欲し、
 為さんとすることなくして為し、
 感ぜむとすることなくして感じ、
 小を大とし、
 少なきを多しとし、
 悪しきを善しとなす。
 是を以て聖人は終に大を成さず、
 故に能く其の大を成す。      (p.44)
 へぇ~。こんなモーツァルト評も・・・・・。

 

 

【ヴルフガング・アマデウス・モーツァルト】
 モーツァルトは決してお砂糖の利いた、あまったるい音楽でもなければ、工匠の細工物でもない。モーツァルトは心の試金石なのだ。彼によって、われわれは趣味や精神や感情のあらゆる病患から身を護ることができるのである。ここでは、簡素にしてしかも気高く、健康で、かぎりなく澄みきった一つの心情が、音楽と言う神々の言葉で語りかけているのである。(p.48)

 

 

【フレデリック・ショパン】
 彼の作品のなかで、一つの誇らかな魂と、燃ゆるがごとき祖国愛と、美への高潔なこころざしとの精髄を、色調と形式になかにまざまざと描き出したのであった。(p.53)
 ショパンの祖国とはポーランドである。 「雨音はショパンの調べ」 という歌謡曲があるけれど、この曲、タイトルだけが妙に覚えやすくて、曲自体を殆ど知らない。

 

 

【深刻で美しい青春時代の恋】
 ショパンは青年のころ、女流作家ジョルジュ・サンドを熱愛した。サンドは、ショパンが肺結核の療養のためにマジョルカ島へ転地したとき、彼に同伴し、看護したが、その後ショパンを見捨ててしまった。(p.128)
 同棲していたのは9年間らしい。恋愛相手の多いサンド相手に9年は結構長持ちしたことになる。


【ベートーベンのピアノ曲集】
 なかんずく 『ディアベリの主題による変奏曲』 などである。この変奏曲におけるベートーベンほど、包括的にもろもろの世界を一身に集約し、来るべき時代を予感した作曲家はかつてなかった。ここでは33の変奏のなかに、ピアノはどのような可能性をもっているかということ、そして、一人の天才がそれをどれほどまで、活かしうるものであるかということの、輪郭が示されているのである。(p.65)
 『ディアベリの主題による変奏曲』 をメモるための書き出し。

 

 

【ポリフォニー : カノンとフーガ】
 呼吸という始原的運動から言葉が、詩句が発生した。そして、高められた調子で、韻律をつけて朗読される詩句からメロディーが、すなわち水平な音楽的線が生じた。このようないくつかの線の総合からポリフォニーが生れ出て、主として教会に所属する音楽を決定したのであるが、この教会音楽は、中世末期にその頂点に達したのであった。さまざまの水平的な線の連続的な加入、つまりカノンと、縮小され、拡大され、反転されそして逆転されるものもろの主題、つまりフーガとが、この対位法的芸術を支配していた。そして、ついには40もの声部が競いあうような曲が生まれたりしたのである。(p.69)
   《参照》   『いま大人に読ませたい本』  渡部昇一・谷沢永一  致知出版
             【 『ドストエフスキーの詩学』 】

 

 

【バッハの晩年】
 バッハを失明させるにいたった眼病 ――― おそらくそれは卒中の発作だろうと思われるが、彼が自作の 『フーガの技法』 の版を作るに際して、銅版腐食に使用した酸の有害作用のためであったかもしれない ――― それに、英国の眼科医テイラーによって行われた手術の思わしくない結果が、彼の最晩年を暗黒のなかにとざしてしまった。(p.84)
 ベートーベンの聴力に関しては誰でも知っているけれど、バッハの失明は殆ど言及される事がない。音楽家だから関係ないといえばそれまでだけど・・・。 
 彼の生涯の後奏曲は、偉大な魂の持主たちの生命があまりにもしばしばそれでもって閉じられる、あの暗い和音で終止したのである。 (p.84)
 

<了>