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 2ページずつに区切って、ほめ言葉とその解説が書かれている。ほめられている対象は人ばかりではない。

 

 

【列記ほめ】
 ほめられた人:イチロー  ほめた人:スティーブ・ケリー
 「ベースボールIQがメジャーで一番高い選手はだれか。デレック・ジータ、オマー・ビスケル、そしてイチロー」 

 上等なものは、××と、××と、そして○○、という言い方で、○○を高く評価するのだ。このほめ方は応用がきくので、皆さんもまねして下さい。 (p.32)

 これと似た言い方に、明石家さんまさんの人をほめるギャグがある。たとえば、赤い服を着ている人にこういうのだ。
 「今、赤いもんを着せて似合うのはポストときみだけやで」
 これも一種の列記ほめか。 
 さんまさんの “ギャグほめ” は可笑しい。お笑いのテクニックをつくづく感じてしまう。

 

 

【拡展ほめ】
 ほめられた人:日本水泳陣    ほめた人:あるアメリカ人
 「もう日本に飛行機はいらない。いまに、太平洋を泳いでやってくるだろう」

 昭和7年(1932)のロサンゼルス・オリンピックで、日本の水泳陣はべらぼうに強く、競泳6種目のうち、5種目で金メダルをとる大活躍をした。  (p.44)
 いかにもアメリカ人的なウイットの効いたほめ言葉である。
 それにしても、戦争前の時代、日本の水泳がそんなに強かったとは・・・・。

 

 

【幕末人物回り舞台ぼめ】
 2ページに渡って記述されている全文である。エピソードが簡潔で、分かりやすい。
 ほめられた人:西郷隆盛    ほめた人:坂本龍馬
 「少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く」

 勝をほめた西郷のことを、今度は坂本龍馬がほめている。しかもこのほめ言葉を紹介しているのが、勝なのだ。このあたり、幕末の天才たちの回り舞台を見るようでまことに面白い。
 勝海舟の「氷川清話」という、明治になってから書いた(語った)本の中に、このエピソードがあるのだ。
 「(龍馬がいうには)成程西郷といふ奴は、わからぬ奴だ。少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろうといったが、坂本もなかなか鑑識のある奴だヨ」
 西郷さんというのは、どうもよくわからない人間である。頭の良さでは勝に負けるし、考えていることのスケールの大きさでは龍馬に負ける。政治的手腕では盟友の大久保利通に負ける。軍人としての才能では大村益次郎に負ける(以上は、私の意見)。
 だが、西郷には、信じられないような人間的な魅力があって、西郷を知ってしまった人は西郷のために役立とう、とどうしても思ってしまうのだった。その意味で、最高のリーダーたる資格があったのだ。
 だから明治になって、みんなにかつがれて西南戦争を起こしてしまい、悲劇的最期をとげた。
 「もし馬鹿なら大きな馬鹿で」という龍馬の言葉は、そういう未来まで見抜いて言っているようで、すごい批評なのである。 (p.84-85)
 「少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く」 は巷間よく伝えられている文言であるけれど、その後に続いて、「もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろう」 という云いがあったのはついぞ知らなかった。

 

 

【ニュートンは魔術師】
 ほめられた人:ニュートン    ほめた人:ケインズ
 「彼は理性の時代の最初の人ではなく、最後の魔術師だった」 

 万有引力の発見で知られ「プリンキピア」という物理学書を書いたニュートンは化学的知性の人だと思われがちだ。望遠鏡を発明し、力学を研究し、世界三大数学者のひとりで微積分法も考案しているのだから。
 ところがそのニュートンは一方では、神学を研究し、錬金術にのめり込み、自然界は神が作ったから完全なのだ、ということを証明しようとしていたのだ。とても宗教的で、神秘的なのである。 (p.116)
 学校では、創造の根源的フィールドであった錬金術を訝って教えないから、多くの人々は誤解してしまう。
 神を “確信” する人は “核心” を有することができる、だからこそどのような難渋する局面にあっても滞ることなく研究を続け、やがては極められるのであろう。狂信とは無縁の世界である。
  《参照》  『あしたの世界』 船井幸雄・池田邦吉 (明窓出版)
          【ニュートンの後半生を知らされていない日本人】

 

 

【上手な人ですから】
 ほめられた人:嘉納治五郎    ほめた人:夏目漱石
 「嘉納さんは上手な人ですから」 


 嘉納治五郎とは講道館を創設した人物である。その人を夏目漱石がほめているのは意外かもしれない。
実は嘉納は柔道でも有名だが、一方では明治の教育家としても偉大な人なのだ。漱石が大学を卒業して職を探していた時、高等師範学校の教師はどうかという話がもちあがったが、その時、高等師範学校の校長だったのが嘉納だ。
 面接のようなものを受けて、あなたは優秀だとか、生徒の模範になってくれ、というようなことを嘉納に言われているうちに、漱石はいやになってしまう。どうも、真面目で政治力もあるタイプの嘉納とウマが合わなかったらしい。
 そこで漱石は、「私は生徒の模範になれるような人間ではないからやめます」 と言ってしまう。すると嘉納は怒るどころか笑い、「そういう正直なあなたにはますます来てほしい」 とくどき、結局漱石はその職につく。
 後年、そのことを思い出して講演で話し、漱石はこう言った。
 「嘉納さんは上手な人ですから、そう言われたらますます来てほしいと、私を放さなかったのです」
 上手な人、というのは、世渡りのうまい大人、という意味だろう。そしてこのほめ言葉は、気持ちよくほめているのではなく、私の苦手な世渡り上手だったよと、皮肉をこめて言っているのだ。 (p.210-211)
 柔道は本来、合気道ほどではないにしても、気を読む柔術なのだから、その道に通じている嘉納さんならば漱石の心中を忖度し先回りして心を捉えることができて当然のはず。これを世渡り上手と皮肉を込めて評するのは、柔道の大家である嘉納治五郎さんに対して、「私とは違って、柔道がお上手ですね」 と言っている無神経さとさして変わらない。気が巡っていないから、「とかくこの世は窮屈だ」などと書いてしまうのであって、漱石が嘉納さんを皮肉入りであれほめるのは、まったくもって相応しくないことである。
 
<了>
 

  清水義範・著の読書記録

     『はじめてわかる国語』

     『ほめ言葉大辞典』