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 横帯の裏側に、“25歳のニューヒロイン黒澤珠々、デビュー” と書かれている。読み終わってからこれに気付き、著者が女性であるということにやや唖然とした、というか解せないような、いや分かるような、でもやっぱり分からないような、輾転反側する気分である。
 ところで、緑の表紙の作者名の下には、CHOUCHOU とルビがふられている。角川書店のスタッフは漢字が読めないのか? TAMATAMA ならギャグとして受け入れてもいいけど、CHOUCHOU はひど過ぎる。

 

 

【ヒモ君の本音】
 看護師をしている梨花にパラサイトしている百輔というヒモ君のモノローグ。
 彼女にきちんと出勤してもらい、家を開けてもらわないと困るというのが本音である。彼女が家を出ないことには、俺の愛してやまない自分ひとりの自由な時間はやってこないからだ。一人でいるときこそが最高の時間なのだと、彼女の部屋に転がり込んで初めて、心からそう思うようになった。断っておくが、これは愛の重量とは関係ない。人は矛盾だらけの生き物だという、ただそれだけのことだ。   (p.42)
 「人は矛盾だらけの生き物だ」、ということに気づけるか否かではなく、それを認知して受け入れてしまえる若者たちは、老獪すぎるのではないかと、若い頃単細胞だった私は思うことがある。あるいは若い頃から、「矛盾を悩まない」 聡明さは、人生を生きる上で、素質の良さを意味しているのだろうか、と思ったりもする。
 だからかもしれないけれど、若者の著す文学に、どうも心が噛み合わないと感じてしまうことが多い。

 

 

【セルフプロデュース】
 モモ(百輔)とルイ(塁)はヒモ仲間。その会話。
「モモちゃんの売りは賢いところ。いつもちょっとシニカルで悲しいところ。笑っても怒ってもできるえくぼ。あと、どんなときでもプライドが邪魔しちゃって器用になりきれなさそうなところ。泥を啜ったり汗をかいたりするくらいなら、死んだほうがマシって思ってそうな高級感」
 ・・・(中略)・・・。泥を啜れと言われれば少し躊躇うが、死ぬくらいならもちろん迷わず、汗だくになるほうを選ぶ。しかし生きることに対する執着心が薄すぎるのではないかと、小さいころからばあちゃんに心配され続けてきた。あたらずといえども遠からず。今日のルイはずいぶん鋭いことを言う。
「そうでもないけどさ」
「そうでなくても、そうであるふりをしてね。それがセルフプロデュースというものです」
 偉そうなルイからそうご指導をいただいて、俺は素直に「はい」と返事をした。
「お金を出してもらってるからって、卑屈になったり、下手に出たりしないでね。絶対に。労働なんて下々の者がやるんだよっていう、ちょっと上の姿勢のほうがモモちゃんには合っているよ。王子様系で売ってね」  (p.136)
 セルフプロデュースという人生観が、人生そのものになってしまっているらしいヒモ君たち。おそらく、その根本原因は、「生きることに対する執着心が薄すぎる」 ということなのだろう。現代を生きる若者たちに共通した心理らしい。生が軽いと死も軽くなる。かといって彼らの軽さは簡単に死を選ぶような方向には向かないから、反射的にセルフプロデュースをする。あくまでもセルフまでのプロデュースである。社会や国家をプロデュースするなどという大それた思いはこれっぽっちもない。
 文学的・哲学的に悩んで成算なきものを得ようともがいていたらしい昔の若者たちより、現代の若者たちは遥かにリアルである。リアルである分その範囲はどうしようもなく狭い。昔の若者たちには範囲を定めぬ奔流的な精神力があった。その力をして彼らの精神の営為は世界中を覆っていたように思う。やはり、最近の若者の文学は小さく見えてしまう。
 

【楽園】
「大丈夫。子どもなんてべつに欲しくないもの。今の私には欠けているものなんてないし、おおむね幸せなの」
「おおむね幸せって、満足しているってこと?」
「満足しているもなにも、今の生活は完璧だし、ここはまるで楽園よ。だから百輔も心配しないでね」 (p.130)
 パラサイトさせている方が、“楽園” を口にしている・・・・???。
 その後、パラサイトしている方のヒモ君は、思いがけずおばあちゃんからの遺産を手にして、こう考える。
 手にした1000万円で、彼女の楽園をもっと素晴らしいものにしてやろう。   (p.200)
 しかし、1000万円を手にしたヒモ君が、彼女のために靴を買って帰ると、
 彼女は出ていった。楽園を、ではなく楽園と共に。楽園は俺の前から姿を消した。・・・(中略)・・・。
 俺はどうやら、何もわかっていなかったらしい。自分のことも、彼女の気持ちも。
 あくせくと働き、疲れたら少しだけ休む。そんな全うな人々を横目に、俺はあの小さな楽園にずるずると間借りし続けるのだと思っていた。 (p.205)
 彼女はヒモ君に与えることで、“人の役に立っている” という満足感の “楽園” を作り出していた。なのだから、ヒモ君は、与えられる役割に徹っしていなければいけなかった。そうでなければ、“楽園” が壊れてしまうのは当然ではないか。
 モモはヒモ仲間のルイほどセルフプロデュースが上手ではなかった。 “全うな人々” という分類語を使ってしまうモモのようなヒモ君は、最初からプロのヒモにはなれない。畢竟するに 『間借り』 程度の短期居住でよかったではないか。おめでとう。
 
 
<了>