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 著者は、“ふちがみかんじ” さんとお読みする。1931年生まれで弁護士をされていた方。職業ゆえだろう、明晰な文章で綴られているのでとても分りやすく読みやすい。
 第1章と第2章は、明治維新にかかわった人々の経緯と思想が具体的にとても分りやすく簡潔に書かれている。明治維新に関する書物は、余りにも多く出版されているけれど、著者の本は、明治維新にかかわる全貌を的確かつ簡潔に学びたい人には、相応しいはずである。最後の第3章は、「日本の誇り」と題され、肩のこらない日本文化論になっている。


【敬天愛人の思想背景】 
 ついでに補足しますと、この 「敬天愛人」 の言葉は、西郷が尊敬した中国南宋の学者であった陳龍川(1143~1194)の「畏天愛民」の説に影響を受けたものと考えられます。陳龍川は浙江省永康の人で、本名を陳亮といいました。宋が女真族(金)の進入に悩んでいた時、「中興五論」 を著して主戦論を唱え、また君道師道の説、学問の実利性を求め、国家権力の充実強化を主張した人です。 (p.42)
 朱子も同時代の人であり、彼らの思想は、異民族からの防衛・民族精神の鼓舞ということに役立っていたと言う。

 

 

【「甲東」 と 「南州」】
 大久保(利通)が後に甲突川の東の岸辺で育ったということを 「甲東」 と略し、・・・(中略)・・・、西郷の茫洋とした風格で、情緒的な響きのある 「南州」 と号したのに比較すると、それだけでも西郷と大久保の個性の差異がうかがわれ、興味深いものがあります。 (p.47)
 甲突川の東の土手のすぐ上が大久保の住居跡で、下級武士の町といわれた場所の中でも、特に川縁の最下級の土地だったという。この貧しい下鍛冶屋町に、大久保・西郷・大山巌・東郷平八郎など、明治維新から日清・日露戦争にかけて活躍した人々が大勢住んでいた。

 

 

【生麦事件の賠償金】
 尊皇攘夷の自負に満ちていた薩摩藩士たちが、神奈川県の生麦村ですれ違った英国人達の不敬に怒り、殺傷した事件の賠償金請求額は10万ポンド。これを現在の貨幣価値に換算すると250億円になるという。弁護士を職業としている著者の賠償額試算ではせいぜい6億円だという。
 とにかく今日でも、外国からの請求額や判決では想像を絶するような金額を平気で課してくることがありますが、私たちからいわせると、論外というしかありません。しかし、それが、植民地主義を振りかざすヨーロッパ列強の、当時の真の姿だったのです。  (p.95)

 

 

【「神国由来」】
 彼(吉田松陰)は、幼少より父百合之介によって、玉田永教の著作である 「神国由来」 の話を聞かされ、神国思想を学び、熱い尊王の志を抱いて育ちました。 (p.106)
 不注意だったのか、この話は、聞いたことも読んだこともなかった。しかし、文献と言い伝えだけでは分らないことがある。松陰を背後で鼓舞した神霊界の鍵は、蓋井島にあったという。

 

 

【「初心不負」】
 著者が萩の町の旧跡を巡っていて入ったレストランの2階で、「矩方」 (松陰の元服名)と書名された松陰の気力あふれた揮毫を発見したという。
 「初心不負」 とは自分が抱いた初心を忘れないという考えより更に一歩積極的な姿勢で、初心を貫徹することの困難さに負けないという意味でしょう。ただ感心したのは 「初心」 の初の字の右側の刀という字が力になっており、学者でもある松陰が、特別に力という字を使用したと考えられたからです。 (p.120)
 

【この年代】
 1853年の黒舟来航です。この年は、吉田松陰と大久保利通が共に23歳、西郷隆盛が26歳、江戸にいた坂本龍馬が18歳、勝海舟は30歳になっていた年です。後に登場してくる佐久間象山が42歳、島津斉彬が44歳、井伊直弼は37歳です。
 志を抱いていたこれらの人たちが、その後日本の歴史の中で大きな役割を果たすことになるのです。 (p.139)
 「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らん」 と言うけれど、明治維新をやり遂げた鴻鵠たちは皆とても若かった。

 

 

【思想の流れ】
 この維新の思想的流れは、尊王と反植民地主義に尽きると思います。そして尊王という点で、天皇制を確立し、後に大久保利通や伊藤博文らによって立憲君主制の国家を確立することになりますが、公武合体派たる勝・坂本の考え方は、その後の自由民権運動や政党誕生につながり、軍事面での松陰の考えは長州閥の山県有朋を中心とする陸軍に、同じく斉彬の考えは薩摩閥を中心とする海軍に、おのおの受け継がれていくことになるのです。 (p.145)

 

 

【「元寇」を教えていない中国の歴史教育】
 中国を訪問した時、私は北京で中国の青年たちに、モンゴル人・中国人・朝鮮人の連合軍である元軍が、日本へ攻めてきた事実について質問したのですが、彼らからの返事はなく、きょとんとした表情でした。結局、中国ではそのようなマイナスになる歴史は学校を含めどこも教えていないため、私の質問すら理解できなかったのです。 (p.230)

 

 

【武士道精神の確認】
 武士道精神こそ、日本人の生きるバイブルなのです。新渡戸博士もいわれていますが、武士道精神とは、偉大なるフェアプレーの精神であり、また生から死に至るまで、社会的弱者に優しく、他人に対する思いやりがあり、自己に厳しく、事に臨んでは死をおそれず、自己の利益を犠牲しても他人のためにはベストを尽くすという生き様なのです。これは武士たちだけでなく、日本人全員が美しい心構えや態度としてあこがれてきました。 (p.258)
 
<了>