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 著者は神道界の要職を歴任してきた方。わずか94ページの本である。そもそも「本の記述は長けりゃ良いってもんじゃない」と思っているから、このような書籍の編集は大賛成である。
 分かりやすく口語調で書かれているし活字も大きいので1時間で読めてしまうけれど、神道国際学会編の書籍だけあって、神道に関する内容がコンパクトに分かりやすく記述されている。であるにせよ、チャンちゃんのようにスラッと1回読むだだけでは不敬に近いのではないかと、やや畏れ多い。
 

【お守り】
 お守りさんは呪物ではありません。神様がいつも身近でご覧になっているから、と慎みを忘れないために身につけるべきものですから。 (p.21)
 ご利益よりも慎みにウエイトを置いてこそのお守り。

 

 

【心の教育はお母さんから】
 私はかつて平安時代に政治の中枢にあった人々の日記を調べたことがありますが、そこには「神慮測り難し」とか「神鑑畏れあり」といった言葉がしきりに出てくるのです。
 万葉集の歌で有名な大和の三輪山には俗に三輪明神さんとよばれる大神(おおみわ)神社が祭られていますが、麓のお年よりは、子供が何かいたずらをすると「お山さんが見てござるでよ」と戒めるのだそうです。
 世のお母さんたちは、こうしたお年寄りの知恵に学んでくださることがなによりではないでしょうか。
 ・・・(中略)・・・
 このことを、折にふれて、幼い魂に沁みこませてくださるのは、お母さん方をおいては、他に適任者はありません。 (p.36-39)
 子供の非行を、「目に見えざる神仏やご先祖様に対して申し訳ない」として母親が教え諭していたという情景は、数十年前までの日本では普通に行われていた。「父親の威厳(いつくしさ)と母親の慈愛(いつくしみ)」という日本文化の基本も、「男女共同参画」という主張の中で、なし崩し的に廃棄されてゆく昨今である。
 

 

【初詣をするようになったのは近代になってから?!!!】
 それにしても、東京なんかでは、振袖を着て歩いている女性の姿がなくなったら、正月がきたことがわからなくなるって聞いたことがありますが、昔は家に神様をお迎えして神祭りをするのが普通でした。大晦日にお礼参りをしても、元旦早々から神社にお参りすることはまれだったのです。初詣というのは今は俳句の季語になっていますが、歳時記に載ったのはたしか大正以降だと思います。 (p.21-22)
 「意外!」 と思わなかった人は、よほど日本の伝統に詳しい人なのだろう。
 静寂を好む人ならば、人々でごったがえす初詣より、閑散とした年末のお礼参りの方がそもそもからして相応しいように思える。年末に、日本の中心である伊勢神宮にわざわざ出かけて、お礼参りをする。崇高な穴場であることは間違いない。
 

 

【昔は神社に名前などなかった】
 もとはお宮にも名前がなかったんだけど、そのうち困るから名前をつけた。村に調査に行って、神社明細帳に載っている正式名称を言ってもへんな顔をされる。お宮さんはお宮さんで、神様は神様ですから。
 昔はご祭神のことをご神体と言ったんですよ。江戸時代の巡検で、お殿様とか代官が「あのお宮の神体はどなたじゃ」と聞くでしょ。するとただ「村の氏神さんです」では具合が悪い。それで「八幡様でございます」とか「菅原道真様でございます」とか言わなくちゃなりません。 (p.43)

 明治になって神社明細帳ができると全部ご祭神の名前を書かなくちゃならんから、古典から何とかしてつけたわけですよ。しかし、どんな名前がついていたって、神徳に相違のあるものではありません。神様は神様です。 (p.44)
 古代からある伝統的な主要な神社は、この記述に該当していないのは言うまでもない。

 

 

【神道はパブリックな性格をもっている】
 フランスの宗教学者のエミール・デュルケムが、「いかなる集団といえども、宗教性のない集団はない」と言っています。共産主義国にだって宗教性はありますね。だから、国家そのものも、政治的に集団の面から考えても、そこに宗教性がなかったら、集団としての機能を果たさないんですよ。
 現代の日本にはこれがないんです。なくしよう、なくしようとしている。そこの国だって、キリスト教の教会だって、その国が負けてもいいとは祈っていません。この国に恩寵あれと祈りますよ。戦争は嬉しくないけれど、戦争になってしまえば、自分の国が勝つように祈るのは当然のことです。
 ですから、日本だけの特殊な現象でもなかったのに、占領軍総司令部民生局のウッダード博士のいう「国体カルト」と混同されてしまって、神社神道までも札付きの危険物と思われてしまった。この誤解は国際シンポジウムなどで漸く溶け始めていますが、まだまだ努力が必要でしょう。
 神道はもともと、天下泰平、五穀豊穣などを祈ってきました。これは政治の目指すところと、価値観は一緒なんですよ。そういうふうに、政治的な集団が目指すところと同じ言を昔から祈ってきている、パブリックな性格をもっている宗教です。
 神道には、上述のようなパブリックな側面以外にも、メルヘンチックかつファンタジックな新世界を地上に顕現させる先導役もあるのではないだろうか。
 類稀なる神人が現れる時は、新世界へのエポックが印される時であると思っている。
 
<了>