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 著者は、経済学博士であるけれど、この書籍は、経済という視点のみで語られたものではない。
 お名前は(やろく)と書かれているけれど、普通に「みろく」=「彌勒」と読めてしまう。聖徳太子から秦河勝に送られたという京都太秦・広隆寺にある半跏思惟の弥勒像を見たとき、著者は特別の感慨を抱いたということが書かれているから、どこかしら霊的につながっている方なのだろう。

 

 

【官僚にまかせると・・・・】
 今世紀を見ると、戦前の日本が選んだのは、英米仏などの特権層を軸にする超帝国主義体制に対して挑戦し、準帝国主義としての版図を固めることだった。ヒトラーのドイツもそうである。
 今日、日本の官僚が選ぼうとしているのは、さしあたり超帝国主義の傘下に入り忠実な一員となることに努め、超帝国主義の有力な担い手に転じて・・・(後略)・・・。  (p.53-54)
 今日の官僚の特権階級ぶりの凄まじさは、防衛庁を筆頭に連日テレビ放映されているので、国民はあきれているが、多くの日本国民は、超帝国主義の傘下に入るなどもっての外と考えているだろう。官僚の中で聖徳太子の描いていた国家観を意識している人がいるなら、きわめて少ないであろうけれど、かなりまともである。
 超帝国主義の21世紀の基本構想は、米中欧三極による世界支配であり、日本はシャブリ取りの対象である。

 

 

【聖徳太子はこうした】
 聖徳太子は隋(中国)と国交を開く努力をした。しかし、日本を自立させる努力の一環としてそれを行った。けっして日本を大国に譲り渡そうとはしなかった。むろん、私心は露ほども持たなかった。日本の近代化に努め、独立国の地歩を固めるのに功績が大きかった。これが、今日の政治家と違う点である。 (p.92)
 この本が出版されたのは2002年なので、その後、安倍前総理によって、聖徳太子の前例に習う政治的判断は実行されている。日本・中国の政治およびメディアの中に送り込まれている超帝国主義エージェントたちの日中分断工作は今後も執拗に続けられるであろうが、安倍前総理の政治判断は正しかったのである。

 

 

【経済が非倫理的でよいのか?】
 モラル・エコノミーとモラル・ポリティックスこそが、21世紀以降の人類が歩むべき道だ。モラルを欠いた資本主義では自由はあるといわれても、実際にあるのは富者や強者の自由であり、つまりは不平等である。
 ところが、社会の土台ともいわれる経済が非倫理的経済でよいとされたために、結局は政治も倫理性を大きく欠如する政治に傾いてしまった。 (p.111)
 いつから倫理性を欠いた経済が正当化されるようになったのであろうか。
 聖徳太子を始めとする古代の思想家たちは、以下のように “徳” という概念で包括される思想を持っていた。

 

 

【古代の思想家たち】
 (聖徳太子が定めた)冠位十二階においても、大徳、小徳、大仁、小仁、大礼、小礼、大信、小信、大義、小義、大智、小智の官位とされた。
 徳はもちろん最上位におかれているごとくすべての徳を総括するものである。 (p.138-139)

 アリストテレスは、金貸しや商業のいわゆる「貨殖術」(クレマチスチカ)を正常な経済活動である「経済術」(オイコノミア)と区別して悪徳であると説いて戒めている。 (p.116)
 彼は人間の徳と、賢慮の徳、友愛の徳、個人の善、節制、中庸、正義をあげている。さらに情念、衝動、欲望についても述べている。 (p.117)
 孔子、孟子などにおいて、仁、義、礼、信、智などの徳が注目されている。順序のいかん等の差はあるが、徳と不徳ないし悪徳が意識されている。
 一般的に見て古来の人間論は、徳と不徳ないし欲望論を軸に構築されてきた。また、人類は長い間それを叡智として重視してきた。「利己心と欲望」は一般的には悪徳のほうに教えられてきた。 (p.118)
 こういった古代思想家たちの考えを覆したのはアダム・スミスであると、著者は語っている。
 
 
【アダム・スミスの背理】
 ところがスミスは人間正論を利己心と利他心を対立軸にしてとらえ、双方天与のものであるが、どちらかというと利己心を人間の本性に数えてそれを天与のものとした。
 端的にいうと、彼によって悪徳であるエゴイズム、利己心の正当化が図られて、その詐術に人間が引っかかった。 
 悪徳を美徳に転倒したのであり、その点ではイエスが怒ったパリサイ人の律法学者と同じである。
 イエス・キリストやアリストテレスが悪徳だといって人類に警戒を促したものを、スミスは人間が神から与えられた、つまり神授の性向だと覆して説いたのである。(p.118-119)
 

【大来佐武郎という人物】
 アダム・スミスの思想を重用した超帝国主義者陣営に属する人物である。
 日本人として、故大来佐武郎氏の名前を挙げておこう。同氏はむろん日本でも著名人で、八面六臂の活躍の機会を与えられた人物である。・・・(中略)・・・。つまり同氏は伝えられるところによると、世界エリートの結社の秘密代理人の一人であった可能性が大だといわれる。 (p.177)
  《参考》  『日本人が知らない「人類支配者」の正体』 太田龍・船井幸雄 ビジネス社

 

 

【連綿と受け継がれてきた日本文明が、第一に意図するもの】
 ヨーロッパやアジアの国々では、先住文明を絶滅させてきた歴史を持っている。日本では先住文明を残しつつ歴史を重ねてきた。だから古代の文明も現代まで残っているのである。
 聖徳太子はすでにそのことの重要性を知っていたかのようである。太子は古代文明の、古神道、多神論の考え方などと新しい文明を併せ、それを 『17条の憲法』 という形で大成させ後世に残した。 (p.190)
 
 本書の冒頭で述べたように、建国以来の危機に直面している日本の私たちは、いま真剣に太子が生涯を通じて追求し、教え諭された事柄を、謙虚に学ぶ必要があるのだ。 (p.213)
 古代思想家たちは、いずれも “霊性” を備えていたがゆえに時空を貫く透徹した視野で “徳性” の重要性を語っていたのである。 “自然は神なり” とする日本人は、自然の中に神を見出す繊細な “霊性” を未だに保持しているが故に “徳性” の大切さを、他のいかなる国民よりもよりよく知っているはずである。
 試験だけで採用される官僚に、知性はあっても霊性・徳性があるかどうか・・・。自ら霊性を欠いているとの自覚があるならば、圧倒的に霊性に秀でていた聖徳太子の定めから学ぼうとする謙虚さがあってもよいだろうに・・・。
 『17条の憲法』 の第一条が、「和をもって貴しとなす」であることは言うまでもない。
 
<了>