最初に字幕で、 “昭和40年” と出ていたと思うが、そんな昔の田舎にあった実話ということに驚いてしまう。


【時代の変化に対して】
 100年続いてきた炭鉱の町。基幹エネルギーは石油へと移行しつつあり、石炭産業斜陽の時代。2000人のリストラ。そこに計画されている常磐ハワイアンセンター。
 既に多様な生き方が認められている現代だから、女性がフラダンスを踊って生きてゆくことにさしたる違和感はないけれど、当時の人々にとってはかなり勇気のいる選択だったのだろう。
 日本人は時代の変化に対応するのが得意ではないだろうけれど、男女を比べれば、男性より女性のほうが変化を受け入れて対応してゆく能力は、平均すると秀でているのではないだろうか。特に、父親という働き手のない場合は、男性より女性の方がきっと圧倒的に優れている(かな?)。


【フラダンス】
 田舎に来た先生が最初に言っていた 「フラダンスの手の動きは手話なのよ」 という言葉に驚いた。日本舞踊にも様々な観立てはあるけれど、日本舞踊よりもハワイアンはダイレクトに手話的である。このことに始めて気付いたから、なおさらこの映画の良さが際立った感じだ。フラダンスの手話が一つのポイントになっていた。
 出発せんとする電車の中に乗っている先生に、向かい側のプラットホームからフラの手話メッセージを送る生徒たち。手話の意味するところを最初の場面で覚えていた観客にとっては、電車の中の先生がわざわざフラの意味を翻訳して口頭で述べているシナリオが余計である。そんなシナリオなら、ない方が遥かに感動できるではないか。
 深い愛に言葉はいらない。言葉でなくても心が伝えられる。言葉を尽くして表現することなど、それに比べたら下の下だよね。だから、人は本当に深い恋をしていたら決して文章など書かない。心の世界だけで十分に満ち足りている。ラブストーリを書いている小説家は、決して現在進行形の深い恋などしていないものだ。


【達成する喜び】
 さまざまな困難があればあるほど、達成する喜びは大きい。
 時代の流れに棹差して新たな潮流を拒否しようとする人々との軋轢。古い文化的価値観や倫理観に締め付けられる個々人の心の苦しみ。
 家族が制約となって達成を断念しなければならない場合もあるだろう。社会的な価値観や大人たちの価値観に従うだけで、自分の心の中の本当の望みを探し出すことを断念してしまう場合もあるだろう。
 それぞれにとって、断念するによんどころない理由なのであろうかど、達成した喜びは、達成した人にしか与えられない。どれほど摩擦や軋轢があり、何度敗北を繰り返そうとも、成功するまで続ければ、その人は成功者である。どれほど達成することを望んでも、達成するまで続けなければ、喜びは得られない。
 この映画は、達成した喜びで終わっているから幸いである。

 

 

<了>