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 著者は経営コンサルタント業に携わっている方。そんな著者が記述している、若者の現状分析を読むと、驚きを通り越し、心がだいぶ冷えてくる。
 極一部と思っていた呆れた若者が、一部ではなく日本の若者の大勢を占めていたとは!!

 

 

【「カレシにしたい職業ランキング」】
 あるアンケートの結果が記事になっていた。
 「カレシにしたい職業ランキング」 とある。そして、輝かしき一位には 「フリーター」 というカタカナが堂々と居座っていたのである。
 その理由は、「会いたい時に電話一本でいつでも来てくれるから」 だった。 (p.18)
 恋愛相手は、「イマ」 を満たしてくれることが重要なのだという。即時的というか即物的というか何というか、会いたいけど会えない故に高められる精神性ということには、トンと思いつかないようだ。社会が豊かになって何でも手に入るようになると、こうなってしまうのか。

 

 

【人気アルバイト】
 一位に 「カラオケ店員」、2位 「コンビニ店員」、3位 「ファミレス店員」
 アンケートに答えた若者達の理由も載っていて、その順位は 「ウザくない」 程度に比例しているのだという。つまり、「覚えることが少なくて、しかも客や店長あたりからグダグダ言われなくてすむ」 職業が望ましいということだ。  (p.24-25)
 恋愛が 「イマ」 の基準であるならば、アルバイトや職業は 「ラク」 が基準ということのようである。昔の若者だったら1位は 「家庭教師」 だったという。今の若者は、ゆとり教育のお陰で頭がついてこないらしい。

 

 

【若者の3原則】
1.人より努力して社会的・経済的なプレステージを得ようとするのは 「ダサイ」
2.社会のルールや世の中の規範は 「ウザイ」
3.将来の自分や周囲の人間がどうであろうと、とにかく現在が満足できるならばそれで 「キモチイイ」
 おかしくってしょうがない。これって幼児の感覚そのものではないか。
 努力が 「ダサイ」 という若者には向上心がない。
 ルールや規範を 「ウザイ」 という若者には 「反抗心」 がない。
 現在の満足が 「キモチイイ」 という若者は、動物として根源的ではあっても、人間としての特性を活かしていない。
 総じて、退嬰的である。
 「街」 の生活に興奮と享楽ではなく、消耗と虚無を覚えるようになった。カネをかけずに家でマッタリしたり、家に引きこもったりする。彼らは生意気ですらない。ただ無力で弱いだけである。 (p.64)

 

 

【タナボタを望む人生】
 積極的に努力を重ねるわけでもないのに、ただ漫然と、認められて、出世して、高収入をえられるのを待っているというのである。“タナボタ”を待っているのである。
 この原因は、「食えてしまったこと」 である。  (p.104)
 「食えてしまえて当然」 と取れるような認識を語っていた大学生に出会ったことがある。「学費は親が払うのが当然である」 かのような発言であった。そういう育て方をした親がバカなのか、「身の程知らず」 という自覚のない若者がバカなのか。どっちにしても“凄い”と思う。

 

 

【ないないづくし】
 さらに、単に考え方とルールを知らないだけではない。社会と対峙しないがゆえに他人に対する配慮もないのだ。当然、社会に貢献する、他者と共生しているという概念もない。信義や礼儀、共感や連帯、優しさなどとは無縁に生きているのである。 (p.84)
 能力も倫理も身につけておらず、社会と対峙することもなく、また自己を確立することもなく、ただ街を漂って、この国の社会を弱体化させていっているのが、現代の若者のリアルである。  (p.138)
 

【危機に立つ国家】
 レーガン大統領の時代。1983年、アメリカ教育省によって発表されたレポート。
『危機に立つ国家』 が示した指針は、一言でいえば 「卓越性の追及」 であった。・・・。明らかに 「反ゆとり教育」 であった。そして、以後、アメリカの教育現場は荒廃から立ち直り、教育レベルを向上させることに成功する。 (p.148)
 アメリカの教育は荒廃の一途を辿っているものと誤解してはいなかっただろうか。既に24年も前に、アメリカは軌道修正していたのに、日本は数年前まで 「ゆとり教育」 という最低の愚策を実行していたのである。
 自主性は自己責任能力に裏打ちされて始めて尊重されるべきものである。自己責任能力がないなら、それは自主性ではなく、ただの 「放縦」 でしかない。 (p.149)
 「ゆとり教育」 のデッド・ポイントは、これである。
 
<了>