
白神山地の山麓で温泉宿を経営する著者。白神山地のことはあまり書いてなくって、ほとんどは著者の人生記録だ。1926年生まれの方。
【家畜と一体の生活】
私ら子供の仕事は、代かきのために馬や牛の鼻先を引いて誘導する「ハサトリ」でした。馬は大きくて賢いので、小さな子どもだと馬鹿にされるんです。早く上手になって馬鹿にされないようにと頑張りました。 (p.12)
子供がお馬さんに負けまいと知恵比べしている感じが、なんとなく微笑ましい。
この記述の後に、牛や馬が働けなくなると感謝しながら食べる・・・と書かれている。無駄がないというか、可哀想というか、生死を直視して生きていたというか、この時代の人々にとっては受け入れざるを得ない現実だったのであろうけれど、経験していない現代人とってはかなり複雑である。
【10代の特攻隊】
特攻隊機の整備もやらされましたな。爆弾の取付金具や機関砲の取付金具を点検したりするんですが、桜隊と玄武隊の特攻機でした。(東京の)立川から飛び立って、九州まで行くんですな。そして九州の基地から沖縄特攻に飛んでいくわけですな。私どもと同じような年恰好のまだ若い飛行機乗りたちです。整備し終わって、複雑な気持ちでしたな。特攻機というのは帰還できないから。彼らは本当に頭も体も優秀な者たちでしたからな。もったいない人たちでしたな。昭和20年のこれも春先だったですな。 (p.40)
特攻隊の若い飛行機乗りたちはまだ10代。どんな心境で飛んでいったのだろう。平和ボケの私たちにとってはあまりにも現実感の持てない状況である。「九州の基地」というのは、知覧だろう。
《参照》 『いつまでも、いつまでもお元気で』 知覧特攻平和会館編 (草思社)
「お国のため」と思って凛とした気持ちで特攻隊の任務に服して死んでいったのなら、せめて、その御魂は救われているものと思いたい。
【「ですな」ワールド】
この本は、著者の口述をそのまま筆記した本らしい。
読んでみると、・・わけですな。・・ないですな。・・だったんですな。・・しまったですな。等の「・・・ですな。」で終わっている文章が殆どである。 読んでいると、あたかも著者である年配者の声の読みになっているのである。確かに私の頭の中に別人の声が響いていた。この本は、正に「ですな」ワールドである。
<了>