
著者は金峯山寺管領。金峯山は、役の行者を開祖とする修験道のメッカにある。
【役の行者】
学生時代に一角獣のように角のはえた皇子の物語を読んでいたことがある。藤川桂介著 『宇宙皇子(うつのみこ)』 だったのだけれど、それが役の行者をモチーフにした作品であったことを知ったのは、その後、密教に出会ってからだった。
密教といえば、たいていは真言密教の空海を想起する人が多いのだろうけど、役の行者は空海以前の人である。学術的に言えば、後期大乗仏教の中に分類される真言密教が空海によって日本にもたらされる以前に、山岳修験道は日本に存在していた。
故にであろう、神道を通じて日本神霊界を学ぶ上で、役の行者は不可欠である。不可欠どころか、仏教の側から語られていた役の行者より、神道の側から語られている役の行者の方が遥かに活き活きとしている感じだった。
この本の著者は、仏教側の視点で役の行者を語ってくれる方である。
【金峯山の本尊:「蔵王権現」】
蔵王権現には幾つかの呼称がある。
「金剛蔵王大権現」:役の行者が金峯山の山上において一千日の苦行祈願をされ、その満願の日に衆生済度のご本尊として感得された時の名前。 (p.14)
「金峯山大菩薩」:奈良・東大寺の二月堂で行われる「お水取り」の行事では、全国の神々を招請されるが、その神名帳の第一番に読みあげられるのが、金峯山大菩薩である。なお、江戸時代の画家、谷文晁の描いている「日本百名山譜」の第一座が、日本の最高峰たる富士山ではなく金峯山であるということもまた、金峯山の宗教的存在の大きさを物語っているのであろう。(p.18)
「金剛胎蔵王如来」:聖護院の何かの文書の中にこのお名前がでてきたのである。修験道メッカは釈迦が岳手前の両峯分けで北の金剛界と、南の胎蔵界に別れている。すなわち、山上が岳から吉野山にかけてが金剛界、深仙から熊野山にかけてが胎蔵界である。蔵王権現は大峯曼荼羅の盟主であるから金剛胎蔵王如来という名もごもっともである。このように辿ってゆくと蔵王権現は大日如来そのものである。また釈迦如来の変化身とも称されるのであるから、顕密にわたっての法王ということができる。 (p.24-25)
「蔵王権現」に限らず神霊界とは常にこのように複数の名前をもつものであり、名前が異なれば働きも異なるものなので、それぞれについて、知らないよりは知っていたほうがいいのは言うまでもない。
【龍体の金峯山】
金峯山は、吉野山から山上が岳の範囲をいうのであるが、山上が岳が「龍の口」、吉野山が「龍の尾」である。 (p.26)
金峯山に限らず、神山とか霊山といわれる山々は龍体なのだそうである。敬神の心ある人は、そのつもりで歩かれたほうがいい。敏感な人ならば、とある領域から波動が変わるのが分かるそうである。
【日本人とは】
そうしたとき、私はやはり日本人だなあと思ってしまう。微かなものに心をひかれることにおいてである。四季の変化のある日本という風土で生きていると、四季の移り変わるときの微かな気配を体で感じ取る習性が私たちにはある。・・・・日本人は純粋の日本的人間であってこそ真の国際人である。“日本人は日本人たれ” というのが私の願いである。 (p.52)
都会で空調の効いた環境下で生きていると、微かなものを感じ取る習性が衰えてしまう。体のみならず、心もメタボリックな日々である。かなりヤバイ。
【「おかげさまで・・・」という日本人の原風景】
(千日参拝のような)大行を成満することのできる人は、おのれ一人の力と思うのは、僭越の沙汰である。個人の力など多寡が知れたものである。大いなる御加護があるからこそ達成できるのである。また、多くの人の助力があってこそ初めて出来るものなのである。
これは単に「行」ばかりではなく、人間万事その通りである。それゆえにこそ、何事かをなさんとするものは、ひたすら謙虚であらねばならない。そして、感謝と報恩を忘れてはいけないのである。 (p.35)
これこそが 「おかげさまで・・・」 という日本人の原風景なのである。
<了>