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  1982年の初土俵から1997年の引退まで、16年近く土俵で頑張っていたハワイ出身の力士・小錦の人生(土俵)過程が書かれている。


【小錦ちゃん】
 名は体をあらわさない小錦、時に日本人のように涙をポロポロとこぼす小錦。子供たちを愛する小錦。私にとって小錦はそんなイメージである。力士として土俵で活躍していた頃の場面を、私は殆ど見ていないからかもしれない。小錦というより小錦ちゃんなのである。
 著者は、小錦の土俵過程を題材にして、やや批判的な視点で大相撲という世界を書いているようである。ゆえに「天晴れ小錦」とタイトルした意味合いに余り美しさを感じない。私が、「天晴れ小錦」とタイトルするなら、以下のことを中心に書くだろう。私の知っている小錦ちゃんは、心美人なのだから・・・。


【横綱になれなかったこと】
 小錦が最も強かった頃は、例え十分な成績を挙げていても、当時の相撲界は、古いしきたりの国技という視点を墨守するだけで、外国人力士の横綱昇進は、強く忌避したがっていたらしい。小錦がその頃、「差別」という言葉を心に抱いて日本人を憎んでいたとしても何ら不思議はない。
 しかし、小錦にとっては、横綱になれなかたことが結果的に幸いだったと思うのだ。降格がありえない横綱になっていたら、引退はずっと早かったはず。そして、故障した膝で巨大な肉体を支え続けた満身創痍の土俵人生後半があったが故に、日本人から、心からの声援を受けていたのではないだろうか。


【優勝者という言葉】
 判官贔屓という言葉があるように、日本は、強者を嫌い弱者を愛する傾向の強い国である。アメリカのように、勝者が全てを得て敗者は全てを失うというような国ではない。
 「勝者」 と 「優勝者」 は意味が違う。大相撲で毎場所、最高成績を挙げた力士には優勝力士という言葉が使われる。優勝の 「優」 は、「人偏に憂える」 と書く、つまり 「人を憂えることに勝った者」 が 「優勝者」 なのである。「優しい」 とは、「人を憂える」 という意味である。
 小錦は、引退まじかの最後の数年間に、日本人の優しさが分かったはずである。月は満ちるのみが美しいのではなく、欠ける過程にも美しさを見ている日本人である。力士は勝つことのみで賞賛されるのではなく、敗れることの中にも賞賛されるものがあるのである。小錦は横綱・千代の富士からそのことを学んだはずだ。
 殆ど相撲を見ることのなかった私が偶然見た一番がある。この一番を決して忘れない。
 小さな横綱・千代の富士は、対小錦戦で、右にも左にも変わることなく真正面から立ち向かい、まわしを取って渾身の力で挑んでいた。そしてジリジリと押されついに押し出された。勝ち名乗りを受けていた小錦の瞳は土俵を降りる横綱を追い続け、そしてその瞳は濡れていたのを私は見逃さなかった。
 横綱・千代の富士も立派だったけれど、濡れた瞳の小錦も美しかった。
 横綱・千代の富士は、対小錦戦の土俵において優勝者たるもののあり方を示して見せてくれた。
 小錦は、感受性豊かな心優しい人である。
 多くの日本人は、どちらが勝とうと、千代の富士と小錦、2人を愛でたはずである。
 小錦は、土俵を降りてからもいろんなところで活躍し、人生の中で優勝者たりつづけていると、私は思う。


【世界のスモウ】
 世界には日本の相撲に似たさまざまなスモウがある。韓国のシムル、モンゴルのボフ、トルコのヤールギュレッシュ、スイスのシュビンゲン、セネガルのブレなどだ。
 これらは村の収穫祭や奉納の際によく行われ、領土争奪戦などを目的とした腕自慢同士の力比べである。技術的には四つに組み、投げ技や足技のあるところは日本の相撲と似ているが、立会いの迫力がない。仕切りと立会いは他の国にない日本固有のものである。(p.160)

 

<了>