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 スペインと言えば、パブロ・ピカソやサルバドール・ダリなどシュール・レアリズムの画家に代表される絵画芸術を思い出す。その他では、へミングウェイが参戦して 『誰がために鐘はなる』 などの小説の背景に描かれていたというスペイン内戦か。
 しかしそれらとは全く別に、私の中では何故かジプシーとスペインが繋がっている。過去世の魂の記憶を喚起するかもしれない本であることを期待して読んでみた。
 


【紀行文学】
 背表紙には “「紀行文学」のあたらなる旗手” と書いてある。しかし、私の期待には適わず中途半端に感じられた。藤原新也や沢木耕太郎のような感じではない。つまりスペインという精神の深みに潜入しようとする試みは感じられないのである。故にいかなる単語も私の心に引っかからない。スルスルと上滑りしてしまってそれだけである。単なるロングステイの旅行記に近い作品という感じだった。


【こだわりのなさ】
 かつて私がフランスでちょくちょく耳にした言葉は、「私の責任じゃない」という言葉だったが、スペインでは、「まあ、どちらでも同じようなもんです」という、こだわりのない大雑把なやり方を示す言葉だった。だから二、三ペセタの金額はどうでもいいことになり、お釣りもよこさないかわりに、負けてもくれる。 (p.113)
 買い物で小銭のお釣りを返さないというのは、オーストラリアも同じである。
 最近の都内のスーパーのレジは、自動的に釣り銭をキッチリと吐き出してしまう。IT化と共にこのような日本製のレジスターが持ち込まれてしまえば、スペインでも釣り銭に拘らない習慣を喪失してしまうのではないだろうか。


【スペインに魅せられる理由】
 都内で生活していれば、さまざまなとことでIT化の恩恵に浴している。都内に滞在している外国人に「日本の印象は?」 と訊くと、押しなべて 「便利」 と答える。
 しかし、長年都内で生活している私には 「便利」 と言われる東京の生活が、それほど素晴らしいことには思えない。便利さはあくまでも物質的な世界内のことである。機械化やIT化が便利さを供給すればするほど、そこで長く生活している人間に、精神的な飢餓感を増幅させる可能性がある。
 私のとって、ピカソの 『ゲルニカ』 は、融合されざる精神と物質の悲しみの表現に思えて仕方のないものだった。平和を損なう戦争に心を引き裂かれた芸術家達の瞳は、悲しみの先にあるその普遍的な領域を看ていたはず・・・である。
 私の心の裡には機械化やIT化とは100%関係のない処で、あらゆることにこだわりのない大雑把な生活をしながら悠久の世界に参入してみたいという思いが確かにある。
 スペインに魅せられる日本人のその理由は様々なのであろう。しかし、おそらくスペインに見せられる人々に共通しているであろうものの中には、イスラム文化との融合によって生み出されたものが基底にあるように思えてならない。少なくともアンダルシアは地理的にそうなることの必然性を持った土地である。

 

<了>