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 新幹線顔のお姉さん(小池栄子)と、カンブリア宮殿の司会をしている村上龍さんの作品。遥か昔、コインロッカーベイビーズなど、数冊読んだことがあるのは確かなのだけれど、印象には残っていない。この小説は、2004年に映画化されたとか。
 最近、小説だけ連荘で読んでみようと思って実践している。


【69】
 タイトルの69、エッチ系の教養に秀でた方は体位のことと思うであろうが、違う。チャンちゃんは、瞬間、ゴールドラッシュで一攫千金を夢見た連中を意味するのかと思った。アメリカのプロ・バスケット(フットボール?)のチーム名にもなっている。しかし、それを改めて思い出してみれば、フォーティー・ナイナーズ : 49s である。20もオーバー。しかも1世紀前の1849年である。論外。
 1969年、著者の高校時代を小説にしている故のタイトルである。場所は北九州、佐世保。アメリカの空母エンタープライズの入港に関わって、政治問題意識の強い地域だったようだ。


【学生時代の雰囲気】
 著者とチャンちゃんの学生時代は、場所も年代も違っているけれど、豊富に語られている小説や映画や音楽のタイトルの幾つかが重なるので、半ば我がことのように思って読んでしまう。
 「職員室に立たせられて、一番嫌なのは、通りすぎる教師がいちいち、何をしたんだ?と聞くことだ」 (p.26) 

と書いているけれど、チャンちゃんの場合は、「興味深そうにあるいはやや軽蔑気味に無言で通り過ぎてゆく先生を、俯きがちに睨んでいた」 ことを思い出す。そもそも、チャンちゃんは職員室に立たされた理由が、今どうしても思い出せない。


【小説技法】
 小説の前半部に、「・・・・なのだ。というのは嘘であって、本当は・・・・」 というような記述が4,5箇所あった。創作中の創作という技法であって、ややムカつきつつ笑えるのであるけれど、その後、やや警戒しながら読んでしまっている自分を可笑しくも思った。
 また、誇張した比喩表現は、小説にアクセントを与える優れた技法である。上等な衣類に、美しいアクセサリーが幾つか配されることで全体がさらに引立つ様に、小説には、アクセサリーに相当する気の利いた比喩があってしかるべきである。たとえば、この小説にはこういった比喩表現がある。
 レディー・ジェーンはわけがわかんないわ、という表情をして、その後、サラセン帝国の宝物殿にある純金とヒスイで作られた世界一美しい鈴みたいな声で、笑った。(p.85)
 おそらく、ヘルマン・ヘッセを高橋さんの訳で読んだことのある青年達は、このような比喩表現を、愛好するようになる。軟弱と思われ兼ねないから、ヘッセを読んでいても余り口外しないのであるけれど、小説を読み始めた青年にとって、ヘッセの作品中にある比喩表現は、必ずや印象深いものとなっているはずである。
 


【「愛」はこれでいい】
 この小説で一番お気に入りの箇所はここ。デート中の場面。ガール・フレンドは、レディー・ジェーン。この小説のマドンナである。
 「ジングルベル・ジングルベルと歌っている幼児の頭を、通りすがりに僕はいいこいいこした。クリスマス・イブとVANのセーターとマクレガーのコート、そして仔鹿のような瞳をしたガール・フレンドとの小旅行、すべての人々がこの時の僕の気分を共有できたら、世界中からあらゆる矛盾という矛盾が消滅するだろう。戦争はなくなるだろう。穏やかな秩序だけが唯一の秩序となるだろう」 (p.124)
 政治や経済の本を読み、ブログを書き終わった時、いつも、この小説の表現のような、「シンプルな可愛らしい愛でいいのに・・」 と思っている。政治や経済のことを知れば知るほど、人を愛するのが難しくなる。政治や経済のことなど何も知らず、ディズニーの世界に没入しきって幸せな気分でいる人々の方が、世界の平和に貢献している。高貴な神霊界とは、まさに夢とロマンの世界そのものだからである。


【Still crazy after all these years・・・・】
 この小説のエンディングには、別れてから数年後に届いた、カールフレンド:レディー・ジェーンからの手紙の締め括りとして、このポールサイモンの歌詞が書かれている。余りにもピッタリだし、いかしていすぎる。この歌詞の出だしは記述されていないが、こうである。 I met my old lover on the street last night.・・・・
 チャンちゃんは高校生の頃から、日本の歌謡曲よりアメリカの歌謡曲を聴くようになっていた。はっきりしている理由は、歌詞が自分の心境によく当て嵌っていたからだ。日本の歌謡曲の歌詞は憧れや慕情ばかりで、少なくとも、孤独に耐えている青年の心の等身大にはなっていなかった。英語が好きだったわけでもないのに、そっちに行かざるを得なかったのである。

 

<了>