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 オヤカタという単語から、大工の棟梁とその弟子が対象になっているのかと思っていたけれど、考察対象は専ら、農地解放以前の地主と小作人だった。いうまでもなく社会学に分類される内容である。


【「くれ好き」は厳しさを伴って、日本社会を維持していた】
 「くれ好き」 は、「大盤振る舞い」 とか 「気前のよさ」 に類する表現に思われるけれど、著者は、この言葉を端緒として、日本タテ社会の双方向性を語っている。地主の 「くれ好き」 は、厳しさを伴うものであり、家を中心に結ばれていた協業組織=家連合の秩序化に関わるモーメンタムであったということである。
 「くれ好き」 は、西洋社会の 「ノブレス・オブリージェ(高貴さに伴う義務)」 のような、貴族側の片務に終わるものではなく、地主側の施すべき義務と小作側の施される権利が、秩序維持の紐帯として機能していた、ということらしい。


【 社会福祉 vs 家福祉 】
 昔の結婚は、あたかも家と家の結婚であるかのような様相であったという。現在の憲法では、婚姻は両性の合意に基ずくものであり、家の関与は排除されている。これによって社会の主体が、「家」 から 「家族」 になったことで、脆弱化したかつての 「家」 の賄い領域を、社会福祉に依存せねばならないようになっている。
 「家」 制度に付随していた 「くれ好き」 には、優しさの逆側面として厳しさも伴っていた。社会福祉に依存するからといって、「くれ好き」 の片面である優しさばかりを代弁する 「平等」 というスローガンに便乗していたのでは、社会の秩序維持は困難に成るばかりである。


【 社会的機能の薄れた「家」、しかし・・・】
 日本社会は、とかく 「家」 が中心になっていた。農村社会だけではなく、芸事には家元制度があり、都会で会社に属していながら 「ウチ(家)の会社」 と言ってしまう日本人である。
 この 「家」 が、いつの頃から日本の社会を語る上で重要な概念になったのかは定かではないが、少なくとも、第一次産業(農業)と、社会人口過少流動性が前提になっていたであろうことは容易に推測できる。
 近代以前の社会にあっては、人力が生産活動の主要な動力源であり、田畑から離れて食料の供給源はなかったのだから、人々は相互扶助の家連合体を作る必要があったのは当然である。そんな社会構造にあっては、江戸幕府が規範として定めた、“幼長の序” などを基にした 「儒教」 が実に良く合っていた。
 しかし、第三次産業が経済の主力になりつつあり、交通機関が発達して社会人口の流動性は著しく高くなっている現在なのに、「家」 という概念が、いまだに日本で生きているのは何故だろう。
 それが、日本文化だから、と言ってしまえばそれで終わってしまうが、そうなった理由は何なのだろう。
 おそらく、「家」 の根拠として最後に残るのは、「魂の帰属場所」 としての、自分自身の出自(ルーツ)であると思う。
 日本に住み生活し続けるのであれば、「家」 という概念に係留されている連綿たる祖先の意識としての世界に注意を払わない者は足元をすくわれる可能性があるのかもしれない。逆もまたしかりである。


【日米の社会比較】
 日本のように 「家」 という概念はなく、専ら 「家族」 を主体に社会生活が営まれている、移民集合国家であるアメリカでは、日常生活の中にボランティア活動が当たり前に根付いている。
 日本人が、「家」 を離れて 「家族」 だけの意識でやって行こうとするならば、少なくとも、社会福祉に依存せぬ心意気が必要であるように思う。それが、社会生活者としてのせめてもの心の務めであり義務である。ボランティア活動もせず、「平等」 を掲げて権利ばかり主張するのは、慎み深いのが一般的である日本人の在り方側からすれば、かなり見苦しい。

 

 

<了>