エチオピア、カンボジア、チェチェンの当時の実状から、地域住民の救済活動を背景に描かれた社会派の映画である。恋愛絶好調のお方は、この映画を見るべきではない。社会派の視点を欠いてしか見られない可能性があるからである。


【社会矛盾】
 この映画は、国際救済基金の会長の労をねぎらうパーティー会場での、強烈なあてつけから始まっている。良識ある観衆なら、キャラハン(クライブ・オーウェン)のこのあてつけに胸を熱くするであろう。ヒロインのサラ(アンジェリーナ・ジョリー)も胸を熱くしてエリオピアに赴くが、現地の実態は不足分をやりくりするのに手一杯である。資金が足りない。
 この映画に映し出されている場所であろうとなかろうと、難民居住区や紛争地域は、石油や地下資源などに絡んで、国際資本が資源を争奪しあう過程で作り出されている。根底にあるのは、何処であれマネーと権力と腐敗である。諜報機関は国際資本のために働く。彼らが現地に送り込みたいものは、利権を手に入れるための武器であって、傷つき虐げられた人々を救済するための救援物資や資金などではない。

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 これらのことを濃縮して語っている僅かな冒頭の場面を見逃してしまえば、この映画の価値は半減する。いや、半減以下であろう。半減以下の価値であれ、愛というテーマが残っている。


【この愛を、どう捉えるのか】
 邦題のタイトルに惹かれて、この映画を見て、「悲しい結末のラブストーリーだった」 と思ってしまう人がいたとしたら、明らかに製作者の意図をミスジャッジしていることになる。
 この映画は、エチオピアの救援活動に向ける人類愛の眼差しから始まっているけれど、最後は、救援者同士の個人的な愛のために、最も危険なチェチェンに行き、悲惨な結末で終わってしまう。
 人類愛から始まって、個人の愛で終わる順序は、この映画の製作意図を縮小させてしまってはいないだろうか。この順序が逆であるならば、この映画はもっと輝きを増したであろうにと思うのだ。残念である。

 

<了>