
ネットの友人に、イスラムの写真展があることを教えてもらい、自ら 「必見」 と思い定めて行ってきました。そこで購入した書籍です。
【聖地はイスラム教徒以外は禁足地である】
イスラム世界の中心地、メッカについて記述され出版された本はかなり少ないと思います。その理由は、イスラムの聖地は、イスラム教徒以外の人々にとっては禁足地となっているからのようです。写真家であり著者の野町さんは、撮影依頼を受けながらも、イスラムの聖地全てを網羅するためにイスラムに入信したそうです。
この書籍には、聖地の写真が何十枚も掲載されています。読み終わって、私は、イスラムに入信してでも、これらの聖地に行ってみたいと思ってしまいます。日本人からみると、極度にというか頑ななほどに時代の変化を拒み続けている文明のありさまが、この上なく魅力的です。
【イスラムの聖地】
中学校の世界史で、「メッカに生まれ、メジナに死す」、「コーランか剣か」、という短文で学んだだけのイスラム世界です。マホメットの生死に関わる聖地と、神から降されたコーランと聖戦、それだけが学校が生徒に教えるイスラムの全てでした。
メッカの正式名称は、「祝福されたメッカ」の意であり、メジナはアラビア語で「町」の意味であり、メジナの正式名称は、「栄光の町、預言者の町」だそうです。
「○○のメッカ」 という表現は、世界中にあるのにも関わらず、現地のアラビア語では、断じてない表現だそうです。メッカとは、創造神アラーを象徴する唯一の地であって、安易に例えとして用いるような存在ではないそうです。意外ですけど、これこそ 「台風の目」 現象です。
【イスラムが招く魂の記憶】
私は、アメリカのパワーポリティックスに対抗するテロ国家群などという偏った枠組みの中でイスラムに興味を持つのではありません。
イスラム寺院の映像がテレビに映し出されているのを、偶然見つけたとき、俄然、見入ってしまいました。特に、初めてイスファハーンという地名を聞いた時、私の中の自覚せぬ魂が、勝手に動き出した感じでした。鳥肌が立ったのです。そして、アラベスク(細密画)、その形象が何を意味しているのか分らないながらも見入ってしまい、魅入られてしまったのです。
写真展に行って、寺院内部から見上げたドームに施されているアラベスクを見つめてみれば、その意匠の一端は分ります。寺院の入口は、マホメットが啓示を受けた洞窟を模した建築様式であり、寺院内部のアラベスク・ドームは神と人間の意識が交錯する空間であるに違いありません。
【ヘッジ・フライト & 異文化体験としての経由便】
ヘッジとは巡礼のことです。著者は、マレーシアのクアラルンプールから、ヘッジ・フライト便に乗り継いだそうです。イスラム教徒の多いマレーシアを経由しないとサウジアラビアへは行けないようです。著者は経由便に乗り継いで、急にイスラム世界を感じたと書いています。
この部分を読んでいて思い出したのですが、海外に行くのに、経由便は異文化体験に適していると思うのです。むしろ、時間が許すならば、直行便より、格安の経由便の方が良いように思うのです。私がサンパウロに行った時、シカゴとマイアミを経由しました。シカゴからのアメリカ国内線、マイアミからの国際線、いずれも、乗客、クルー共に目的地の文化に染まった人々が大半を占めるようになります。これだけでも異文化を十分経験できるものです。
【断食・心の浄化】
イスラム教徒にとって、恒例の、年に1ヶ月間のラマダーン(断食月)。 飽食の時代、都会の日常生活に埋もれていると、このラマダーンの目的と効用に、おのずと気持ちが向いて行きます。
「一年のうちひと月の間、生産から距離を置いて、心の浄化につとめる。ラマダーンの間のこの習慣はイスラーム圏ではごく一般的なことで、生産することと精神文化を守っていくことの間に明確な一線が引かれている」 (p.64)
仕事に疲れて、会社を辞めてしまいたくなる人々は、むしろ正常な人間であるのかもしれません。離職期間を利用して断食道場に住み込んでみるとか、あるいは、少しく蓄えがあるなら、航空券を買って異文化体験に費やしてみるのも良いのではないかと思います。
<了>