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 著者であり対談者である2人がいかなる人々なのか、全く知りませんでした。怪しげなカバーと意味不明なタイトルだけで、異質なものに興味を抱く傾向のある私は、この本を買っておきました。 
 社会生物学的な分野のお2人で、デズモンド・モリスの 『裸のサル』 的な内容の本でした。久しぶりのジャンルでした。


【タイトルの意味】
 タイトルの意味は、どうやらこういうことらしいです。
 新発見がなされれば、その時点まで立派な学説であったものがウソになります。つまり、「もっと新発見を!」 ということで、通説にこだわらない斬新な視点で物事を見よう、ということのようです。
 フィービガーという人は、茶色い回虫みたいなもの発見して、これがガンの病原体であるという研究でノーベル章をもらった (p.110) そうです。科学者もけっこう立派なウソつきであるから・・・・、なんか私は嬉しくて楽しくって拍手をしたくなってしまいます。


【『裸のサル』のインパクト】
 確かに、生物学的な視点や動物行動学的な視点で人間を見るならば、既成の社会通念や常識というものに 「ちょっと待てよ」 という思いは生ずるものです。『裸のサル』 が一般読者に与えたインパクトは、まさにこれであったはずです。大学生であった当時の私も、そのインパクトを欣喜雀躍として受けてとっていた一人でした。
 視点を変えて見る楽しさ、「頭コンクリ」(←台湾的日本語。普通の日本語は「石頭」)を回避する楽しさです。


【例えば、この本は、このように利用しうる】
 「浮気なんて絶対にありえない!」 と、感情爆発、思考停止してしまいそうな人が、この本に言及されている「浮気人類進化論」なる内容を読み取って、自分自身を客観的に相対化できたら、少しは「頭コンクリ」から脱出できるのではないでしょうか。
 浮気=悪、と決め付けないで、善悪の判定はとりあえず保留するだけの余裕があるならば、このようなジャンルの書籍を、自己啓発書として読むことは可能です。悪乗りすれば、じゃなかった、えーと、マジに心地良いと感じられる人にとっては人生論?とすら感じられるでしょう。 
 保留なんてできっこないとはねつけてしまい、自分自身を客観視する程度の余裕も、相対化する知性すらも持てない人は、畢竟、浮気に遭遇してプッツンするしかないでしょう。
 (因みに私、独身です。バツイチでもありません。じゃぁ、なんでこんな例えを思いついたのか・・・・・・、想定しやすいし、面白いから)


【それが嫌ならこんな方法は・・】
 対談者の日高さんが言うには、『魔法から科学へ』という本の中に、ヒンデカルトという中世の修道女の幻想の話がでてきて、筆者であるチャールズ・シンガーは、中世の科学の始まりである、と高く評価している。(p.117) そうです。
 占星術的な世界観に支配されていたヨーロッパ中世。ただちに思い出したのは 『トリスタンとイゾルデ』。 読んだことのある人なら、黄金の髪のイゾルデと白い手のイゾルデという登場人物がいたこと以外の詳細は全て忘れていても、その独特な雰囲気は長いこと、いや永遠に忘れることのない本です。
 浮気、即、プッツンな人は、この小説の中の世界に遊べばいいのです。そして怪しげな占い師さんのところへ、相談に行くのです。チャールズ・シンガーは、これを科学の始まりと高く評価してくれているのですから!!!
 (この部分、なんかちょっと悪乗りして書いてしまいました。この本の魔術にかかってしまったらしいです ?!)


【ビート(拍動)に関するマジな考察】
 むずかって泣いている赤ん坊に、子守歌を聞かせてもあんまり効果がない。心拍音を聞かせると、おとなしくなるし、体重も増える。 (p.174)

 ロック・ミュージックを愛好する人々は年齢に反比例して減少します。生理的な柔軟性が年齢につれて衰えるが故に、アップテンポ過ぎる曲のビートは、高齢者には受け付けられなくなるからです。
 しかしロックの中でも、おそらく全ての年齢の人々が受け入れることのできる曲があります。
 クイーンの “ We will rock you ” です。私はこの曲こそ、ロック本来の基本形だと思っています。多くのロック・ミュージックが変調する周波数のビートで構成されるのに対して、この曲だけは、始めから終わりまで同一のビートなのです。しかも、曲のビートと人間の心拍とがマッチしているのです。ペースメーカーとして用いることのできる珍しい曲です。なので、この曲は、頭が記憶せずとも、体が記憶してしまうのです。
 生命体に関わる特異な曲として、ラプソディー・イン・ブルーやモーツァルトの楽曲などに言及している本は数多あるのですが、この本にこれらの曲のことは記述されていませんでした。


【思考の枷、いちおうマジな考察】
 高校のとき習ったメンデルの法則が非常に美しくできているので、生物をやろうと思ったなんていう人は、理論だけで頭ができあがっているものだから、現実のことが全然理解できない。(p.132)

 『バカの壁』 的な内容表現ですが、この指摘、よく理解できます。わたしもそうでした。数学で公式を習っても、公式に当て嵌る問題しか私には解けなかったのです。いわゆる応用力のない単なるおバカさんだった訳ですが、さらに追い討ちをかけるように、理論上の数理計算が、現実の解析に対していかに有効性を持たないものかを知って、卒論を書きながら、かなり失望していたものでした。
 理論的なコスモスの美しさから世界を見ていると、現実の側から強烈なしっぺ返しを受けるものです。反動としてヤケクソになってカオスの中に頭を突っ込んでみても、結果は同じです。そこに美しいものなど決してありえません。単なる真っ暗闇です。真っ黒クロスケの気配すらないのです。でも、ウンがよければ、漆黒の鏡の向こう側から亡霊が挨拶しに来てくれるかもしれません、「ヤケクソー」って。
 美を見失って打ちのめされた魂を救済するのは、コスモスでもカオスでもなく、おそらく身近にある自然です。自然が織り成す世界には、移ろい行くものの中に、たおやかな美と安定があります。但し、求める者の魂が鎮められていれば・・・ですが。

 

<了>