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 著者は精神科医。医学部の前に文学部心理学科という学歴ゆえか日本文学からの引用が多く、一般の読者に多くの安らぎを与えてくれる。


【若者の自覚未満】
 古来、日本には、若者宿や元服などの成人儀礼があった。しかし、情報メディアの流布や、産業構造の変化に伴う人口移動によって、村落共同体が主体となっていた成人儀礼が行われなくなってしまった。この為に、最近の若者は大人としての自覚が持ちにくくなっているという。
 これとまったく同じことは、『日本人の育ての知恵』 樋口清之 PHP にも書かれていた。
 私の周辺にも「大人未満」を自覚している人は多い。個々の人生にとっても、日本全体にとってもこれは明らかに弱点である。

 

【大人の自覚過剰】
 一方、成人儀礼を経験してきている大人には、大人の自覚を持ちすぎるという過剰がある。
「型より入りて、型よりいず」は世阿弥の奥義である。芸事の世界で共通に言われる「守・破・離」であるけれど、守ばかりで、破と離ができない。大人は大人らしく、教員は教員らしく、サラリーマンはサラリーマンらしく、ということにいっぱいで、その人の生き生きとした感性は失われている。
 個人の感性喪失だけで済むならまだしも、教員や警察官など、社会規範の体現者的な職業についている人々が自分の家庭に持ち込み発生させる心理的歪みは、それ以外の職業の人々に比べて甚だしいらしい。母親という役割を果たせない女性の増加とあいまって、日本の教育は明らかに弱点が多い。

 

【良寛に学ぶ “ありうべき姿” とは・・・、すべての日本人は到達できるのか?】
 ここでいう “ありうべき姿” とは、自在性を保持することである。
 良寛の書いたものを読むと、その感性の豊かさ、子供心から聖人の心まで広がりがあると言う。良寛は、お坊さんという型から入り、それを抜け出し、自分の資質を生かして自分なりの日本的自然観を身につけた禅僧になったのであると。(p.156)

   良寛の諦観(自分の中核となるもの)を表している、辞世の歌
   「形見とて 何か残さん 春は花 山ホトトギス 秋はもみじ葉」
   実に深い自然との一体感、そして無欲さ・・・・・。


 著者は、良寛は自分の資質を生かして日本的自然観を身につけたという。良寛は最初から日本に生まれているのだから、確かに良寛の資質とも言えよう。しかし、外来の文物は日本に来てすべからく日本化しているのである、仏像の顔ですらも。故に、日本という神霊磁場が良寛をして日本的自然観に導いたと考えることもできるのではないか。

   《参照》   『大創運』 深見東州 (たちばな出版) 《後編》
              【日本神霊界】

 前者のみであるならば、若者も大人も良寛を範例として自在性を学ぶしかない。後者をも想定するならば、全ての日本人は日本という固有の磁場にもっと注目する必要があろう。日本を日本たらしめている神霊磁場は、古来からある伝統的な神社の境内や、人に踏み荒らされていない自然の中にある。 

 

<了>