
著者の名前に記憶があった。以前、読んだ『愛と怖れ』という本の著者であることがすぐに思い出せたのである。同一著者の本であってもどちらの本の方が相応しいかは人によって異なる。それぞれに気付きの(魂の成熟)段階が本の内容にマッチするか否かのポイントだからである。
針小棒大な反日教育を真に受けて、日本人に敵対的な感情を持ってしまっている韓国人と、韓国人的な確執をせねば気が済まないような精神的傾向があると自覚している人々は、『ゆるすということ』を読むのが相応しいのではないか。
【愛の反対側】
私にとっては、今回読んだ『ゆるすということ』より、『愛と怖れ』から学んだというか気付けたことの方が重要なことだった。
「愛」の反対は「憎悪」と私は単純に考えていた。アンビバレント(愛憎共存)という単語から安易に考えていたのである。しかし「愛」の反対は「憎悪」ではなく「怖れ」である。通読して深く納得できたのである。
「愛の欠如」が「怖れを生じ」それが基点となって「憎悪を生む」のである。怖れをどう受け入れてゆくかは、知性ではなく魂で『愛と怖れ』という著書を読めばわかること。
人間関係に苦しんでいるなら、著者のいずれかの書籍が相応しいのではないか。
【怖れ<欲望<共生<愛】
大局的な解釈ではあるけれど、現在の地上に存在する共産主義は言うまでも無く言論統制や秘密警察による支配、つまり「怖れ」を支配原理とするもっとも低級な制度であり、資本主義は「欲望」を支配原理とする2番目に低級な制度である。「欲望」の反対は「共生」だろうか。
「怖れ」の中国、「欲望」のアメリカ、「共生」の日本、「愛」に一番近いのがどれかは言うまでもない。世界を救える可能性があるのは日本だけである。
<了>