時を経て昇華して行くもの | 狭間和恵の人生を創造する数秘とコンサル【野生児的人生の歩き方】東京・品川
その時に自分にとって好ましくなかったり辛かったりした経験が、後になって緩和するというか、昇華する事がある。

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例えば、私の父は一般的に良い父親ではなかった。
幼い頃から間接的にでも父の悪口的な事を聞かされ育ってきたので、その死に際に4ヶ月ほど付き添った時は、感情があまり動かなかった。



酷い感情も湧かない代わりに、悲しむ様な事も出てこなかった。
ただ淡々と、その死んで行く様を見ていた、感じていたという感じだろうか。



だけど、今その時の事を思う時、父は娘に悲しがられる事もなく、ほとんど感情も動かず淡々と見守られる事を少し淋しく思っただろうか?と思う反面、元気な時に関わりの中でもらえなかった物は、その死んで行く過程の中で私に渡してくれたものがたくさんある気がするのです。




あの父がいなければ、私は今ここにはいない。
やっぱりどこかで帳尻はあっている気がするのです。




そう思うと、死んでから6年が経って、そんな風に思う自分がいて、時間差はあったけれど、ちゃんと行き着くところへは行き着くのだなぁ、と思う。




あの時に、実の父が死んだのに何も感情が動かないのはおかしいのではないか?とか、世間の常識でセラピーや見えない世界を扱う人を頼れば、あの時に一気に行き着いたのかもしれない。



そしてその場合は、この6年の歳月が経って思う質感というか、時の層に織り込まれた雰囲気は、感じ取る事が出来なかっただろうと思う。



一気にカタをつけるのが良い事ばかりとも限らないのだ。




そういう私は、目の前の困りごとや、こうなりたい、と言う現実に最短ルートで行く道案内を仕事にしているけれど、それもまた、来た方がその後の時間を経て受け取れるものを受け取る事を選ぶのならば、それも全然アリだと思っている。



自分が1番いい様に生きたらいいのだ、という思いがいつでもあるのです。



色んなことに決心まではついていないけど、
選択肢を持ちたい、と言う方も、話だけ聞いてみたいという方も、普通に歓迎しますのでいつでも声かけてください。

と、最後は宣伝で終わるというオチ(笑)




Facebook投稿より