なんか、なんでも同じだな。。と思います。
感情も
病気も
食欲も
症状って、全部全部、訳あって『基があって』出てくる物。
表面に出て来たその症状が嬉しくない物だからと、抑え込んだり無視したり。
すればするほど、蓄積されて溜まっていく。
今回は熱でそれをあらためて感じましたが、何にでも言えるなぁ、と思います。
本気の病気でお医者さんからお薬をもらっている場合は、もう個人差があるしわからないのでこの限りではないし、参考にもしてもらっちゃ困るけど(笑)
未病と言うか、日常においての嬉しくない症状と言うのかな?
花粉症のクシャミ鼻水
生理痛
生理前のイライラ
ムカッとした気持ち
傷ついた気持ち
寂しさ
悲しさ
怒り
更年期などの感情の起伏
頭痛
痒み
そういうもの。
原因がはっきりしていて、コレを改善すれば治るとわかっているものじゃなくて、なんだか邪魔くさいと感じるもの。
抑え込めば抑え込むほどややこしくなる。
私、薬って西洋医学の物だけでなく、漢方などももれなく同じだとも思っています。
大麻って、天然でしょ。
元々薬は野生の植物だったりするしね。
ここぞ!と言う時はとても助かる魔法の道具だけれど、基本健康な(大人の)人にはそんなに頻用する必要はないと思っています。
手っ取り早く嫌な物を取り去りたい。
これは時には必要だけれど、それが日常になってくると、どこかが麻痺した『自分に似た別の人』みたいになってしまうんじゃないか?
そんな風に思います。
感情面で言えば、いつでもどこでも感情をぶちまけりゃいいって物でもないので(そんな奴はむしろ迷惑(笑))、必要な時は、一瞬抑える事もある。
けれど、抑えた後は、ちゃんとそれを見て汲んであげる、解放する時間が必要だと思うのです。
抑えたまま忘れ去らず、無視せず。
怒りや悲しみを出す事が良くない事として抑え込む事に慣れてくると、自分が何が嫌で何が嬉しいのかもわからなくなってきます。
そう。
嫌な気持ちだけでなく、嬉しい楽しいも麻痺してくる。
怒りを感じる事がない
そういう話も聞いた事があるけれど、それはきっとどこかが麻痺しているのだと私は思う。
喜怒哀楽。と言う言葉があるのは、人間にはそれらが全て備わっているから。
個人差はあるので、どっかが強くてどっかが弱いのは普通でしょうけど、どこかが無い、と言うのは、やっぱり人として何かおかしい気がするのですよね。
鎮痛剤は、痛みを感じなくさせているだけで、痛んではいるまんま。
ただ、痛さを感じない、と言う事です。
治ってない。
クシャミ鼻水を止めても、止まっているだけで出てくる理由はそこに残る。
治ってない。
怒りをごまかして感じなくしても、わからないだけで気持ちはそこに置き去りになる。
私も花粉症なので、症状が困る日には鼻炎薬を使います。
眠れないほどひどい偏頭痛が1.2年に1回ほどあるので、そんな時は鎮痛剤も使います。
要所要所では、本当に助かる魔法の道具。
魔法の道具も、使い方を誤れば、劇薬になると言うか。
人間って、本来は暑苦しくて泥臭い生き物なんじゃないでしょうか?
スマートで優しくて穏やかで元気で楽しくてキラキラしている

そんな面ばかりじゃないはずなんですよね。
排泄もすれば、垢も出る。
汗もかくし、風呂に入らなければ薄汚れて臭くなってくる。
小さな事でクヨクヨしたり、泣いたり怒ったり。
本当は、子供と同じように感情の起伏があるんだと思うのです。
大人なのでね、いつでもどこでも丸出しにはしない方が良いだろうけどね(^.^)
知ってて出さないのと、知らずに出せないのでは大きく違うし、気がつけなくなる、と言う事が最も怖いんじゃないかな?
と、そんな事を思いました。
なんにせよ、ほどほどにね



