今回の旅では、豊受大神宮様、月讀宮様、伊勢神宮様でお札をいただくことと、「また将来伊勢に来たい!」という思いをもって参拝をしてまいりました。

兎にも角にも、伊勢路で参拝できたことを感謝し、また観光を楽しんでまいりました。
(おかげ横丁の人出は竹下通りを超えていました(たとえが昭和))
 

 

 


豊受大神宮様でのひととき。
以前の参拝は2019年、コロナ禍前だったなあと思い出します。
とにかく「懐が大きい」。
お参りするときは姿勢を正さなければいけませんが、飛び込んでいけるような空気を感じます。
 

 

 
 
 
 
 


豊受大神様には参拝の嬉しさに「感謝!」という思いでいますと「ニコニコと微笑み返して」「承りました」と言われる感じを受けました。

式神さん的に「豊受大神様と個々の神様とは互いに取り組まれ意識をしているのですが、人の様々な悩みにはそれぞれの得意分野があり、それを意識されています。
強い神ですが心優しく、ただ行いを正すのみならず、行為から伴う物事についてきちんと対応されます」

伊勢神宮のHPでは
「天照大御神の御神慮によって豊受大神宮がお鎮まりになったことには、どんな意味があったのでしょうか。
皇大御神は、豊受大御神の御神慮を仰ぐことなしに、食事に代表される生活全般の正しい豊かな営みが不可能であることを、みずからお教えくださったものと考えます。」
とあり、神様もまた「己のみの仕事はできない」ということを知っていることと思います。
 

 

多賀宮様までの道にある寝地蔵石にお賽銭が…!


お世話になったお札を納め、新しく授与いただいたお札を持参した書類入れに収めました。
 

 

 
 
 
 
 


2019年にお参りした月讀宮様と別の、月夜見宮様。
ご祭神は同じ⽉読尊様ですが、不思議なほどこの二社は同じ雰囲気、匂いがいたします。
 

 

 


摂社に高河原神社様(月夜見尊御魂様を祀る)が拝殿の右後ろに鎮座されています。
左後ろには焼け焦げてしまった楠の大木の中に、お稲荷様のお社が。
 

 

 

『神名帳考證再考』では高河原神社のご祭神は倉稲魂命様とあるらしく、関係があるのかもしれません。

私はここで「この木は落雷で焦げてしまったのかもしれない」と思いそのまま「自然の中で雷に打たれ……」と念じたところ『雷で?』と頭の中に反応があり、「?」となってしまいました。
帰宅後に調べたところ、神宮巡々2様(こちらのページ)に

「山田空襲で焼夷弾が投下されたときこの楠に被害が及んだ」とあり……orz
思い込みを言ってはいけないな……と今更ながら痛感しました。

月夜見宮様の参拝後、伊勢うどんをいただきました。
 

 

いそべやさんの肉玉伊勢うどん


おなかいっぱい食べてから、食後の運動よ!と張り切って自転車に乗りましたが、分かれ道の二択を間違え続けて、見渡す限り観光客ゼロの道をこぎ続けました。
サドルから尻を浮かせても腰を下ろすと尾骶骨が痛い。

 

道中、地元の方に道を聞くと自分が近づくどころか遠ざかっていたことに気付かされました。

その方に教えていただいた道を行くと、内宮様を参拝後に行く予定だった月讀宮様が、道すがらにございましたため先に参拝。
 

 

 


式神「あなたの珍道中を愉快そうに⽉読尊様は見ていらっしゃいます(笑)」

2019年の参拝も覚えてくださっていて、疲弊しながらも嬉しく思いました💦
 

 

 


疲れ果てた私に、月讀宮様の空気は暖かく包むような、肩をぽんぽんとしてくれるような。
式神「その通りです。あなたに優しく意識してくれています」

月讀宮様でお札をいただき、伊勢茶のペットボトルを空にして尻痛をごまかしながら自転車に乗りました。