9月の初旬に岩手県を旅してまいりました。
友人の希望で「宮沢賢治」「中尊寺」、
私と友人の希望が一致した「遠野」をまわりました。
初日にお邪魔したのが花巻市。
新花巻駅には、花巻東高校出身の大谷翔平選手や菊池雄星選手の号外やユニフォーム等が飾られております。
新花巻駅から徒歩10分ほどには、宮沢賢治の記念館やイーハトーヴ館、童話村があります。
彼の作品で読んだことがあるのは、
『銀河鉄道の夜』『注文の多い料理店』『やまなし』で、最近は短編の『シグナルとシグナレス』をちょこっと読んだのですが、昔懐かしき『特攻の拓』という漫画の天羽セロニアス時貞というキャラのおかげで宮沢賢治の詩を少しだけ当時かじりました。
中学生の当時はまったく宮沢賢治の詩の意味が分からず、分かりやすい作品を読んでいました。
事前の知識はほとんどなく、宮沢賢治記念館に行ってみましたが……
宮沢賢治の生い立ちから人生を見られる館内で、雨ニモ負ケズの手帳(複製)やメモ、文献を拝見しましたが、なかでも宮沢賢治が病気で他界する年に後輩に向けて出した手紙をスマホに写して、これを何度も読みかえしました。
言葉の端々に滲むものが、四十路の私に染みる![]()
病の辛苦と付き合いながら筆をとって伝えるべきことを伝える、その息遣いの生々しさを感じます。
身につまされるような、戒めを促すとともに、泥臭さ人間臭さが私のような者とも身近な存在として感じられる手紙でした。
賢治はご実家が浄土真宗でしたが日蓮宗に帰依していて、そのことで信仰の不一致からご家族と不和があったそうです。
彼が亡くなる直前「妙法蓮華経」を突然唱え始めて喀血、駆け付けた御父上に「国訳の妙法蓮華経を一千部刷ってください」と頼み、その日の午後に息を引き取られたそうです。
科学、天文、宗教をこよなく愛して農業に勤しみ、日々に感謝し有難く生き、またその美しさと侘しさを独自の視点で微細に映した世界に、ほんの少し気づくことができました。
賢治は絵も達者だったようです。
殆どの原画は戦災で焼失してしまい、弟さんの記憶をもとに再現されています。
『銀河鉄道の夜』の原稿がパネルで展示されていました。
消された部分を読んでみたり
妹さんがお亡くなりになる日を詠んだ『永訣の朝』は教科書に載っていた記憶がありますが、館内の朗読ビデオで見たそれは沁みわたるような哀切が感じられます。
病床で賢治に「あめゆじゅ とてちて けんじゃ(あめゆきをとってきてください)」と頼む声と凛とした神々しい雪景色、お椀に雪をとり帰ってくる賢治、美しいのに残酷な現実。
死は賢治にとっては何より身近な現象だったと思います。
この年になり、人の死がひしひしと身近になったからか、あの当時は分からなかった……。
上の画像は、前述の天羽時貞が作品内で口ずさんでいた『春と修羅』の詩の一文。
この冒頭に、なんとスピリチュアルなのだろうと、改めて嘆息しました。
(あらゆる透明な幽霊の複合体という、このページの一節、おこがましくもここに同調する自分がいます)
この詩を読んでいくと、現象をありのまま意識することを仏さまの視線が助けてくれているように思います。
そのいっぽうでシビアで冷静な現実的感覚が同じように存在する。
『永訣の朝』で妹さんを「やさしくあをじろく燃えてゐる」と表現したことと似ていて、人は星の光のように燈り、瞬き燃えつきるものであり、現象である。
ずっと眺め考えていると、賢治は本当に「雨ニモ負ケズ」のように自分の生命を生き抜きたかったのだと思います。
青空文庫さんで『春と修羅』の序が読めます<(_ _)>![]()
一時間余り眺めていて、外に出ると花巻の美しい山々が見えました。
なんとなくの感覚ですが、土地によって肌の感触がちがうというか、岩手は空間が人を見守り、ありのままに育てる感じがしました。
宮沢賢治の姿を見下ろした景色に包まれているのが何とも不思議で。
空気にもやさしい何かが含まれているんだと思われます。
『注文の多い料理店』を模したレストランに入ったあと、
近くにある童話村や、市立博物館も見学。
岩手は民俗学者の柳田國男氏、折口信夫氏も御馴染みの土地で、
本当に本当に面白い![]()
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山猫軒の入り口にはちゃんと鏡、クリーム、香水、塩が!![]()
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この岩手の旅で、ほんの少しだけ不思議なこともありましたが、
それはこの続きで書こうと思います![]()
童話村にて













