年末年始のお休みで、氏神様への年越しのお参り。
地元の氏神様には様々なことでお世話になり、ご縁をいただけていることの感謝をじわじわと感じることができています。

個々の神社様で感じられることがちがい、どっしりとされている方、慎ましくおられる方、またクールなようで情が深い方、親のように様々な言葉をくれる方……
まずそういう方のもとにいられることの感謝があり。
 

 

 


神社の神様とともにいられるのは、すべての人が同じ。
手を合わせるときには人の心と神社の主が向き合っている。
そのことを改めて思うとき、自分が自分の心にどれだけ嘘のないよう意識しているか。

ということからはじまり、神社の神様は人に対して「……で、どうしたの?」と言われる。
そこで「こうしたく、しかしうまくいかないのです」と返すと
「ではこうすれば?」と手順をおっしゃられるようです。
(私はこの手順について沢山の情報のため一気には分かりませんが、あとあと気づきという方法で理解していきます)

この時点では、守護霊さんが代わりに受け取り、少しずつ人に降ろしていくように思います。
 

 


氏神様に接していくうち「ここは私の故郷の一つだ」と、私個人が思えてきたのがここ最近で大きかったことです。
そうなると、氏神様もひとつの家族のごとく近い存在となっていくように思います。
これは他人行儀ではないですが、きちんと礼を尽くす大きな存在で、頭を下げることに躊躇いがなくなります。

これだけ大事な存在が、身近に沢山ある!というのが日本の凄いところであると思います。

友人との年始の恒例行事となっているのが、地元の川崎大師さまへのお参りです。
今年は近くに住んでいる別の友人宅に泊まる機会があったので、2日と10日にお参りに行きました。
 

 

10日のお大師様。朝8時前は人もそれほどいない。

 

 

しょうづかのお婆さん。

三途の川のほとりにいる奪衣婆という存在ですが、この方は肌と歯の守り神。
お参りしたあとに、後ろからお婆ちゃんが来られ「あなたは下がんなさい」と言われたように感じて失礼しました。

 

 

 

塔をお参りする方はあまりおられないですが…
 

 

 

しかしながら、この言葉を借りて「敬重」と浮かびました。

「ここに立つのが塔でなく由緒ある大仏ならば人は足を止めよう。すべてある物体に対して大仏に対する敬いを向けるならば、それがまた更なる意識を呼び、敬重、敬うことを意識できる」
 

 

朝8時前は屋台も準備中


8日は友人リクエストの川越まで。
 

 

 
 
 

川越の駄菓子屋さん。
テンションが爆上がりする店内(店主さんにお断りして撮影しました)。
 

 

 

飴屋さんでいただいた試食の飴、梅味。

つくりが繊細で美味しい。
 

 

 

川越氷川神社さまに参拝。
 

 

 

モヤモヤさまぁ~ずでも紹介されたことのある川越歴史博物館にて。
ここの凄いところは、館長さんがケースの中から展示物を出してくれるところガーン
 

一番人気!と言って出してくれました


真剣と本物の火縄銃を持たせてくれました。
本物の存在感は怖いガーン

一日では回り切れないほど、名所が沢山あるためほどほどにして帰りました。
帰りの電車で眠気が襲い、夢うつつで意識だけが起きているような状態で、頭の中で声がしました。
「意識は目」
川越氷川神社が浮かびまして、神様から伝言のように感じました。
脳内で意識を目として意識し、集中すれば第三の目となる。
感覚的には、目を閉じて脳の中心に意識を集中させ、そこで「視る」ことを感じること。
それまで時々よく分からないものを見ていた時の、視界の狭さをクリアにしていくことができる……かもしれません。

感覚的には脳の中心にバックベアードを造る感じ。
 

 

『妖怪ラリー』より


オーラの企画を楽しみにされている方、本当にありがとうございます。
お待たせしてしまい申し訳ありませんアセアセ
自分自身に納得がいくように見方を日々学習しております……成果が出るように頑張ります。