再び、神様についてお伝えする事になり
わたし自身、気持ちを引き締め襟を正そうと思います。
どうぞよろしくお願いします。
(2019年8月23日の記事の再掲です。)
神様はいるのか?
どんな存在なのか?
私は「神様がいる」前提の家庭で育ちました。
とは言え特定の宗教を信心していたり、特に信心深いわけでもなく
朝起きたら神棚に一番水を供える。
1日15日には榊を取り替える。
良くない事をしても良い事をしても、全て神様が見ていると教えられた。
そんな程度のことですが、神様はいるのだと当然のように思っていました。
中学生になり、色んな神社に行きたい!と思うようになり(当時は京都限定)、中学生の頃は両親に連れてってもらい、高校生になると自分1人で京都の寺社を巡る。
神社で何をするわけでもなく、神話や神様の事を調べるわけでもなく、ただ理由もなくその場に行くだけです。
そして縁あって神社や神様に関する仕事をするようになり、
その職からも離れ今に至ります。(2019年8月の時点で)
神様はいるのか?
と言う問いについては、ずっとYESしかないのですが
じゃあ、神様とはどんな存在なのか?
についての、私の考えです。
私たち人間は、弱くて流されやすい生き物です。
強いものに巻かれ、損得勘定で上手く立ち回りたい。
なるべく楽して儲けたいし、苦労なんてしたくない。
自分を棚上げし、他人のせいにし
相手が悪いと攻撃し、時には恨み、愚痴を言う。
などなど
誰にでもある、そんな部分。
でも、どんな人でも「正しくありたい。」
と思う気持ちを持ち合わせている(と信じてる。)
「神様は見ている」そう信じる事で
私たちの邪な心を正す事ができ
怠け者の自分にカツをいれ
辛い時には、拠り所し頑張れる。
神様は、私たち人間のあるべき姿。
神は身のうちにあるとか、御神体が私たちの姿をうつす鏡だったりするのは、それだからではないかと思います。
完璧な自分・高次の自分とか、ハイヤーセルフなども、そんなニュアンスでしょうか。
もちろん、願いを叶えてくれる存在だと思う事も、間違ってはいないと思います。
人知では理解できない不思議な事だって起こります。
ご神気を感じる事ももちろんです。
でもまず
人が正しくあろうとするための存在だと信じています。
正しくあるというのは
道徳的なことや、人情的な事など様々ありますが
どんな事乗り越え、成し遂げる力がある自分であると認識することもです。
神様を信じ感謝することは、自分の良心と可能性を信じること。
だから神様は、どこかにお金を払ったから願いを叶えてくれるとか、能力者に神様のご縁を繋いでもらわないと繋がらないわけではなく、そもそも私たち自身が神であるというこです。
それは、神に反するものにもなり得るという事です。
神様の言葉を、自分の利益のために都合よく使っていいの?、、、と感じる事が経験上あります。
個人的に「神様がこう言ってる」と思うことは、全く問題なく自由です。
が、神様に関する仕事をする上では、それは許される事ではないと思います。
厄介な事に、その人がほんとに神様の声を聞いているのか、確かめる術はないので
自分自身が、しっかり見極めないといけません。
それは、神様を知るとか神様と仲良くなるより、ずっと難しいのかもしれませんね。



