出羽三山神社参拝後編。
11年振り3度目の登拝の締めです。
麓の鳥居の一歩目から五重塔、2446段の石段を経て1時間半、山頂の石鳥居に辿り着きました。
山頂鳥居
身も心も軽やかに鳥居をくぐります。
羽黒山と親しくなれた様な不思議な気分。
講の方々が寄進した青銅鳥居が建っていたそうですが、戦争で供出され、戦後に庄内の学徒らの寄付によって今の木製鳥居が建てられたそうです。
厳島神社
(御祭神:宗像三神)
(鶴岡市指定有形文化財)
建築様式に仏教色を色濃く残す造り。
元は弁天堂として建立されたものです。
蜂子神社
(御祭神:蜂子命)
(鶴岡市指定有形文化財)
出羽三山を開山した蜂子皇子を祀るお社です。
元は元和5年(1619)建立の開山堂。
蜂子皇子は第32代崇峻天皇の第三皇子。
蘇我馬子により崇峻天皇が暗殺された為、聖徳太子の手引きでこの地に逃れ、羽黒権現を感得して出羽三山を開いたと伝わります。
三神合祭殿
(国指定重要文化財)
<御祭神>
月読命 (月山)
伊氐波神 (羽黒山)
大山祇命・大己貴命・少彦名命 (湯殿山)
その名の通り、月山・羽黒山・湯殿山の出羽三山の神様が合祀されています。
伊氐波神は倉稲魂命とされる産土神。
*読みは"イデハノカミ"
因みに、出羽三山神社は「延喜式神名帳」では伊氐波神社と表記されています。
まるで巨大な戦艦の様な社殿。
大同2年(870)の建立以来、幾度か再建され、現在の社殿は文政元年(1818)のもの。
その高さは28mにも及び、屋根の厚さだけでも2mを超えます。
また、一棟の中に拝殿と御本殿がある合祭造と呼ばれる、独特な構造をしています。
元は大堂と呼ばれていたそうで、寺院の本堂に準じた造りを継承してきたのでしょうね。
上から鋭い視線の力士像。
三山の本地仏は月山(標高1984m)が阿弥陀如来・八幡大菩薩、羽黒山(標高414m)が聖観世音菩薩、湯殿山(標高1500m)が大日如来とされていました。
そして、月山が過去、羽黒山が現世、湯殿山が来世を象徴するとされ、今も"生まれ変わり"の信仰の下、厚い信仰を集め続けています。
山形の寺社建築らしい、重厚な茅葺屋根。
次回は御祈祷か昇殿参拝をしたい。
社殿正面に広がる鏡池。
鏡池
古来、神聖な御手洗とされた神池です。
池からは埋納された190面の銅鏡(重文)が出土していて、その信仰の厚さが窺えます。
鐘楼・梵鐘
(国指定重要文化財)
見事な茅葺屋根の鐘楼は元和4年(1618)、最上氏による寄進。
梵鐘は建治元年(1275)の刻銘があり、東北地方において最大最古のもので、中世以前の古鐘としては、東大寺に次ぐ大きさを誇ります。
松例祭引綱
毎年12月に行われる松明祭(重要無形民俗文化財)において疫病退散の神事に使われる綱で、除災招福のご利益があるとされています。
庄内の家屋の軒先でもよく見かけました。
霊祭殿
祖霊安鎮の山とされる出羽三山。
この社殿は先祖の霊を供養する場所。
亡き家族に祈りを捧げるもの、ここに来る理由のひとつでもあります。
東照社
(御祭神:東照大権現)
(鶴岡市指定有形文化財)
正保2年(1645)、庄内藩主による創建。
庄内藩との関係を円滑にする政治的狙いがあったのだとか。
黒基調の門が小振りながらも荘厳な雰囲気。
東照社の隣には神輿社。
木立の向こうには末社が連なっています。
大雷神、建角身神、稲荷神、大山祇神、白山神、思兼神、八坂神といったラインナップ。
それぞれの神威で聖域を護っています。
帰りは東側の鳥居から。
俳聖芭蕉像
芭蕉は元禄2年(1689)に羽黒山を訪れ、"涼しさや ほの三日月の 羽黒山"の句を残しました。
天宥社
(御祭神:天宥法印)
羽黒山の中興の祖として知られる天宥法印を祀っています。
*読みは"テンユウホイウイン"
元は真言宗だった出羽三山を天海僧正を通じて天台宗に改宗する事で、幕府の庇護を得ようとしました。
東照社が建立されたのもその頃。
しかし、権力争いに敗れ、伊豆七島の新島に配流となり、晩年を過ごしたそうです。
社殿前の石灯籠はその新島からの寄進。
時刻は13時。
感無量と次回への期待で胸を膨らませて、バスで鶴岡駅に戻ります。
大鳥居
駅に戻るバスの中から。
御朱印(出羽三山神社)
御朱印(蜂子神社)
次回、初日の宿の記事です。























