夏旅群馬編、2日目のスタート。

 

降り立ったのは、下仁田駅から15分程の上州一ノ宮駅。

 

駅名にもある通り、一の宮参りです。

*8年振り3度目

 

<旅の行程>

1日目:富岡→下仁田

2日目:富岡→山名→高崎

3日目:妙義山→桐生

 

駅から徒歩15分程、街道沿いに桜並木の参道に辿り着きます。

 

◆上野国一の宮 一之宮貫前神社◆

*読みは"イチノミヤヌキサキジンジャ"

 

春は桜がさぞ美しいであろう坂の参道。

 

大鳥居

 

坂の次はこの石段。

 

 

上野国の平野と山並みを一望。

 

総門

 

その先に総門と銅製灯籠。

 

銅製灯籠

(富岡市指定有形文化財)

 

慶応元年(1865)に鋳造されたものです。

 

そして、

 

門の先に続く、貫前神社特有の風景。

 

 

所謂、"下り宮"と呼ばれる配置。

 

上がってきた分を下っていく事になります。

 

月読神社

(主祭神:月夜見命)

 

旧拝殿だったもので、寛永12年(1635)の現社殿造営により、牛王堂として使われた後、明治時代に月読神社の社殿となりました。

 

斎館

 

綾女谷と呼ばれる谷の中腹へ。

 

 

近づく楼門に心躍らせて。

 

楼門

(国指定重要文化財)

 

寛永12年(1635)、徳川家光の寄進です。

 

後の元禄11年(1698)、徳川家綱による修繕で極彩色の漆が塗られ、今日の姿になりました。

 

 

楼門の正面すぐに拝殿。

 

拝殿

(国指定重要文化財)

<御祭神>

経津主命

姫大神

 

創建は安閑天皇元年(531)と伝わる古社。

 

この地の古代豪族だった物部君礒部氏が、その氏神・経津主命を祀った事が創祀とされます。

 

姫大神は養蚕の女神とされていますが、その正体は不詳。

 

 

明治時代までは鉾抜神社と呼ばれていて、"貫前"と"鉾抜"は別の神だったとする説も存在しています。

 

その長い歴史の中に潜むミステリー。

 

御本殿

(国指定重要文化財)

 

豪華絢爛な御本殿。

 

現在の社殿群は楼門同様、寛永12年(1635)、徳川家光が寄進したものです。

 

江戸時代以前も、源氏・武田氏・上杉氏・後北条氏から厚い加護を受けてきたそうです。

 

 

明治時代以降、檜皮葺屋根の葺替え5回、彩色塗替え4回、昭和期と平成期においても、大改修が施行されて、この美しい姿を世に伝え続けています。

 

抜鉾若御子神社

(御祭神:抜鉾大神の御子神)

 

御本殿の脇に佇む末社。

 

もしかすると、"貫前"とは別の神だった"鉾抜"が、時と共に変遷を経た姿かもしれませんね。

 

そうすると、このお社は元宮なのかも?

 

 

境内の端から綾女谷を底を覗く。

 

境内が谷の中腹にある事が分かります。

 

神楽殿

 

年間71もの神事が行われる貫前神社。

 

特に、鹿の骨により吉凶を占う特殊神事、鹿占神事は国選択無形民俗文化財。

 

石段を戻り、総門脇の境内社へ。

 

日枝神社

(主祭神:大山咋神)

 

旧御本殿だったものです。

 

旧拝殿(現月読神社)同様、寛永12年(1635)に現社殿が造営されて、転用されました。

 

その隣には伊勢内宮・外宮の社殿。

 

スダジイ

(群馬県指定天然記念物)

 

樹齢1000年とも言われる巨木です。

 

古代、渡来人により養蚕が伝えられた富岡の地。

 

その悠久の歴史の中で、支配豪族の神と複雑に絡み合い、謎に包まれた御祭神。

 

時を経て、富岡製糸場という、近代養蚕業の一大拠点となった富岡。

 

必然か偶然か、神様の導きか。

 

目を瞑り、古代にまで遡る不思議に想いを馳せて…

 

御朱印

 

駅に戻り、沿線の八幡様へ向かいます。

 

 

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