3泊4日広島漫遊最終日。
2つの一の宮を巡ります。
福山駅からJRで内陸へ40分程、新市駅で下車。
<旅の行程>
1日目:竹原→御手洗
2日目:尾道
3日目:鞆の浦→福山
4日目:福山
駅から徒歩20分、社頭に着きます。
◆備後国一の宮 吉備津神社◆
大鳥居
(福山市指定重要文化財)
慶安元年(1648)建立の花崗岩製の大鳥居。
扁額には"吉備津一宮"の文字。
かつて、吉備国という、出雲や大和に匹敵する国がありました。
その領域は、現在の岡山県全域と広島県東部(福山と尾道)、瀬戸内海の島々(現兵庫県)に跨ぐものでした。
その吉備国も時代の流れの中で、備前・備中・備後に分割され、明治時代には、三備共に岡山県となりますが、備後だけは後に広島県に編入されてしまいます。
それが、岡山地方に根付く吉備津系神社が一の宮として、広島県にある理由。
下随神門
(福山市指定重要文化財)
江戸時代後期の建立です。
門の先に広がる空間と、石段へと続く参道。
大公孫樹
樹齢600年と言われる御神木。
桃太郎御一行の銅像。
文化圏的にも、この辺りは岡山なのでしょうね。
櫻山神社
(御祭神:桜山茲俊命)
御祭神の桜山茲俊は楠木正成の忠臣。
*読みは"サクラヤマコレトシ"
楠木正成の討死を知り、境内に火を放ち、妻子や家臣と共に自害をしたと、「太平記」に描かれています。
そびえ立つ石灯籠の迫力。
手水舎
脇の石の迫力。
石段を登った先には神門。
上随神門
左右に楽所と呼ばれる小屋が建っています。
神楽殿で舞楽が奉納される際、雅楽の演奏や着替えの場に使われていたそうです。
石段を振り返る。
その途中、左に秋葉神社、右に神馬舎があります。
神楽殿
(広島県指定重要文化財)
寛文13年(1673)の建立。
配置や風景がどことなく、滋賀県の神社風?
神楽殿の後方には庭園の様なスペースがあり、寒桜が植えられています。
拝殿
(福山市指定重要文化財)
慶安元年(1648)の建立。
長屋風の造りです。
その後ろに見える朱の社殿に胸が高鳴る…
拝殿から望む。
御本殿
(国指定重要文化財)
<御祭神>
大吉備津彦命
大同元年(806)、吉備国が前中後の三備に分割された際、吉備国総鎮守(現備中一の宮)だった吉備津神社から分霊を請けて創建され、備後国一の宮となりました。
御祭神は第七代孝霊天皇の皇子で、"四道将軍"として、山陽道を平定しました。
桃太郎伝説の基とされています。
御本殿は慶安元年(1648)、福山藩初代藩主・水野勝成による造営。
朱の社殿、檜皮葺の屋根…
それらが醸す雅なる美しさ。
御本殿前の六角灯籠も水野勝成の奉納です。
2月と9月には、御本殿内の御神体が朝陽を反射して、社頭の鳥居まで光が貫く、"正中の光"という神秘的な現象が起こる事でも知られています。
備前国一の宮吉備津彦神社でも、夏至の日に朝陽が御神体に射し込む現象があり、共通の信仰を持っていた事が窺えます。
狛犬は"備"の国らしく、備前焼。
乳房神社
(御祭神:乳房神)
母乳や育児にご利益があると言われる公孫樹の下に鎮まっています。
大山祇神社
(御祭神:大山祇神)
石段下に鎮座する山神を祀るお社。
境内の裏山からは平安時代後期の瓦類が出土して、かつては、多宝塔も建つ、神仏習合の拠点だったと考えられています。
御池
社頭前に広がる雄大な池。
これも備前・備中の一の宮と似た風景。
御朱印
広島県の中で感じる吉備の息吹。
歴史に翻弄された福山の地らしい一の宮でした。
次回、近隣に鎮座するもうひとつの一の宮の記事を送ります。
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