gyuttoさんのブログ学校は必要なのか
を読んで、長男が小学校の頃を思い出してみる。
私は、その当時自分の気持ちに蓋をしているのが普通で、
自分の気持ちが良く分かっていなかった。
子どもの才能(良いところ)を伸ばしたかった。
でも普通の子どもでもいて欲しかった。
という希望があった。
この普通の子どもでいて欲しいというのは、自分の奥にあったもので、
自分では意識していなかった。
私がパニック障害になって、自分を見つめだしてから、気づいたもの。
gyuttoさんのように、子どもの才能を生かせるような学校へ行くって
いうのは、素敵だなー。
私もそういう環境があったら、長男に行かせたかった。
でも私は普通の子どもであったらという無意識の思いもあった。
私は子どもに勉強する楽しさをわかって欲しかった。
その為に、低学年のうちは、勉強させすぎて嫌いになることを恐れ、
担任の先生に、宿題を余りさせないようにとお願いしていた。
ウチの長男は字を書くのに、筆圧が強く、難しさを感じていた。
それと、単純計算が苦痛。
繰り返しも苦手。
支援センターで出会ったあるお母さん①は、子どもの障害があることを認めたくなかった。
子どもが外で障害のせいで疎外感を感じているのはわかっていたけど、
障害があるっていうレッテルを張られるのが何よりも怖かったようだった。
またあるお母さん②は、子どもにきちんと宿題をさせることを課していて、
普通の子が30分程度でできるものを、何時間もかけてやらせていた。
どちらのお子さんのことも、その当時、私は、かわいそうだと思っていた。
そんなに無理させなくてもいいのに、
子どもの為になることをすればいいのに、
って。
お母さん①には、子どもが生活をしやすくするために、
支援を受けることを考えたらどうか?
とアドバイスをした。
そのお母さんはハッとしたようで、涙を流していた。
お母さん②には、何も言えなかった。
そうなんだね。って。
それで私が今、振り返って思うのは、
親の思うようにやっていいってこと。
子どもを育てるのは、母親である。
母親のストレスが無いようにした方がいい。
お母さん①は、子どもが苦しんでいるより、レッテルを貼られるのが怖いのだから、
そうしたらいい。
お母さん②は、普通に宿題をこなしてほしいというのが願いなのだから、子どもが何時間かかっても宿題をさせることが、お母さんの精神衛生上良いってことなのだ。
あー、でも極端なのは辛いから、他の考えがあるっていうのは知っておいた方がいいかな。
そう思うとお母さん①には言ってよかったな。
ウチの長男の勉強を好きであってほしいというのは、
残念ながらうまくいっていない。
勉強は嫌いだ。←やらされるのが嫌い。
でも「楽しいものであって欲しい」というのはあるみたい。
子どもに何か才能があって欲しいというのはある。
もっとのびのびとさせたら違ったのかなーとか思うこともある。
しかし、才能はどんな状態であっても、潰れることはないと信じている。
環境で潰れてしまうようなら、それは才能ではないのだ!
なんちゃって。
長男は、本を読むのが好きで、読解力はある。
これは素晴らしい。
記憶力が良く(これはアスペルガーの特性?)、
一度覚えたことは中々忘れない。
その代り、忘れたいイヤなことも忘れられない。
普通であって欲しいというのは、今は余り思っていない。
ただ将来社会人になるのだから、ある程度苦手なものも少しはやれるようにしてやりたい。