小松市エジリ古墳
全長約30mの前方後円墳
墳丘は跡形もありません。春日会館(写真右端に写っている建物)のあたりが後円部だったようです。
小松市埋蔵文化財センターに出が展示されています。
5世紀末、木場潟・今江方・芝山潟のいわゆる加賀三湖に囲まれた台地を本拠地とした有力豪族が登場し、
6~7世紀にかけて多数の古墳を築く
これらを総称して三湖台古墳群と呼び、矢田野エジリ古墳もその一つ
周溝から細かく割れた状態で大量の埴輪が発見された
円筒埴輪43個、朝顔形埴輪6個、人物埴輪11個、馬形埴輪2個で、未調査の部分を含めると本来は80本近い埴輪が墳丘の上に並べられていたと推定される
人物埴輪はそれぞれ異なるポーズや服飾で表現されていて、馬形埴輪は高級な馬具で飾られていた
亡くなった首長の葬儀など、重要な儀式の一場面が描かれていると推測される
跪座の男子
儀式の始まりを宣言したり、儀式の中で、亡き首長の業績を唱(とな)え、また、新首長に忠誠を誓うような大切な言葉をかしこまって奏上していたのかもしれない
飾り帽子の男子
列点で飾られた鍔の無い冠帽を被り、両耳の後ろに束ねた髪を垂らす「下げ美豆良」が表現され、首には丸玉を連ねてる
天冠の男子
高句麗壁画などに見られる被り物に似ている
当時、渡来人がふるさとの習俗を保った状態で、各地に居住していたことが知られている
襷掛け袈裟衣の女子
1枚の幅広で長い布を片方の脇から反対側の肩へと斜めにまわして結んだ袈裟を着て、髪型は、古墳島田
このような服装と髪型の人物は、神聖な儀式をつかさどる巫女と考えられている
両手を前に差し出す祈りの姿は、柏手を打つ、あるいは何かを捧げ持つポーズともいわれている
袈裟衣の女子
刀子を佩びる人
稚児髷のような髪型の人物埴輪は例が乏しく、巫女とは役割の異なる女性と考えられる
勾玉をつける人
玉や刀剣は、鏡とともに神聖な道具の一つであり、巫女に従うかたちで儀式の中で大切な役割を担っていたと思われる
挙げた手は、食物を盛る器を捧げ持っている例が知られていて、また舞踊を表現しているとも考えられる
飾り馬1・騎乗の男子1・右手を挙げる男子
円環形の雲珠と円環形の杏葉の表現
馬具で飾られた馬と、馬とは別につくられた騎乗の人物、そして馬を曳(ひ)く馬子がセットで出土
きらびやかな馬にまたがり、大切な儀式で隊列を組む従臣たちと見られる
飾り馬2・騎乗の男子2・右手を挙げる口髭の男子
半球状の雲珠と剣菱形の杏葉の表現。障泥と鐙は欠失する
解説してくれた学芸員さんは、「近隣の首長だったかもしれません。もしかしたら、ヤマト政権の使者だったのかも」とおっしゃっていました。
朝顔形埴輪・円筒埴輪
円筒埴輪の製作は、通常、底の方から粘土ひもを巻き上げながら、上に向かって少しずつ開く筒形に仕上げていく(正立成形)。
ところが、矢田野エジリ古墳の円筒埴輪の大部分は、約3分の2の高さまでを上に向かってすぼまる逆さの状態で製作し、その後、上下を逆転させ、残りの部分(口縁部)を積み上げている
この技法を「倒立技法」と呼んでいる
特に尾張地域との関係の深い地域で発見されており、また、韓国で発見された埴輪にも、同様の技法が確認されている
第1工程で下底面だったところは器肉が厚く、たわみも生じている
倒立後、その部分(倒立位置)には「タタキ」という須恵器の調整技法が使われるので、内面に同心円の当て具のあとが残される
倒立技法で製作された須恵質の円筒埴輪
外面は細かい縦方向のハケ目、内面は工具を用いた横方向のナデで調整されている
内面の倒立成形境界部には、同心円文当具痕が残されている。
円筒7・8と同様、重厚である
正置した状態で製作された土師質の円筒埴輪
特に低温焼成で軟質である
底径が小さく、口縁部へ比較的大きく開いてゆく形態
外面は、口縁部へ向けて傾きを強める斜め方向のハケ目
内面は、横方向の指ナデ調整
底縁は断面三角形である
正置した状態で製作された土師質の円筒埴輪
底径が大きく、寸胴形を呈している
外面は細かい縦方向のハケ目
内面は、工具を用いた横方向のナデに、口縁部で斜めあるいは横方向のハケ目調整が加わる
底部には、輪型圧痕がみられ、伊勢湾岸周辺に多く分布する淡輪技法の影響が考えられる
小松市埋蔵文化財センターのことは、後日もう少し書きますね。

















