“カルペ・ディエム”ナビゲータ&種まき人のLisaですコスモス
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東日本大地震凄まじかったですね。

私は地震発生時、浜松町にあるビルの37Fにいました。

地上でも震度5強だったようで、37Fはビルの構造上もあり

嵐の中を進む船のように立ってられないほどの揺れでした。

揺れが収まっても、船酔い状態が続きました…。


私がいる部署は旅館・ホテル等の施設を運営管理しているので

揺れがおさまると同時に各施設の安否状況確認に追われました。

みんな、家族の心配もあるのに、現場施設の状況確認など

冷静に的確に動いていく姿を見て「企業人」の凄さをみました。

その合間をみて、身内への安否確認をしていました。


なかには、阪神大震災を被災している同僚・先輩たちもおり、

一瞬にしてそのときのことがフラッシュバックしてしまい

座り込む人達もいました。



37Fのお台場側のフロアにいますので、地震直後の

お台場の火災、川崎方面の火災も一望。

市原のコンビナート火災も見えました。

何回も爆発をしているのも見ました。

ゆりかもめが止まって、線路上を非難してる人も見ました。

首都高が通行止めになって道路が渋滞なのも37Fから見ていました。

映画のワンシーンのようで全くリアルなものととらえられませんでした。


とりあえずの自分の身の安全を確保&身内の安全を確認できると、

もうエレベーターが動かないことには地上には降りれず、

階段で降りれるけれど、37Fからは降りる気になれず…

フロアのみんなも降りたところで交通機関が麻痺しているから帰ろうにも帰れず…


私は幸いにも、実家は徒歩20分の場所にあるので

エレベーター稼動後に徒歩で帰宅。

幹線道路は徒歩帰宅民で溢れていました。

20時頃に旦那さんがバイクで実家に迎えにきてくれて

なんとか21時半に自宅へ戻ることができました。

バイクでの帰宅道中、昭和通りを多くの人が歩いており、

また、車道は車道で車で溢れ、信号はあってないようなもの状態。

妹の旦那は車で帰宅中、1時間半で30m程度しか動かなかったと言っていました。

ときどき、テレビ番組で災害時シミュレーションをやっていたりしますが

まさにそのとき見た光景そのままでした。

私の家族は私以外の旦那・子供2人・義母は半径1キロ以内で活動してるので

こういうときに最後の最後まで安否が確認できないのは「私」だろうと言うことで

常日頃、我が家では、震災が起きた場合、

旦那が義母と子供達の安全確認&保護、私は会社で非難or実家に寄りそこでの非難

落ち着いたら連絡をし合う。

ということを確認しあっていました。

そのおかげで連絡が取りにくくてもとりあえず安心できました。


みなさんは常日頃、平日の日中に震災が起きたときのシミュレーションしていますか?

非常食や必要品の確保ももちろん大事です。

でも今回のような場合の家族との連絡・対応をしっかり確認しあってみてください。

大混乱のなかでいかに冷静にいられるか。

みんな自分だけ安全に安心にとわれ先思って行動するなかでどう対応するか。

ワーキングマザーも沢山います。そのときにどう対応するのベストなのか。

今回の震災で「いつか起こること」から「起こったこと」になりました。

「知ってること」と「出来ること」は違います。

今回のことを教訓にしましょう!



ペタしてね






























もちろん37Fなのでエレベーターは停止。
余震もあるのでなかなか復旧しませんでした。