ポチ♪![]()
中孝介 - 花
2026年六月
北海道と東北・北陸を除く各地で梅雨入りし
あちらこちらで
「 紫陽花 」 を見かけるようになりました。
そこで今年も
「 紫陽花 」 にまつわる人の話をば
したいと思います。
その人の名前は
「 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト 」。
大昔、社会科の時間に習ったであろう
「 シーボルト 」 と 「 紫陽花 」 のお話です。
今から200年ほど前
江戸時代末期の鎖国政策の日本にあって
唯一、外国に開かれてた場所、、、
長崎県の 「 出島 」。
シーボルトは
オランダ ( ドイツ人 ) の商館医として
その出島に派遣されました。
しかし長崎奉行の特別の計らいで
来日早々出島を離島。
その後、長崎の町で
日本人患者を診察した際に
患者の1人であった 「 お滝 」 と
運命の出会いをすることになります。
シーボルトはお滝の事を手紙で知人に
こう紹介しています。
「 私は日本で
ヨーロッパの女性には類をみない
女性と出会いました。
私は彼女の事を愛しています。 」
と。
やがて2人は恋に落ち
2人の間には
「 お稲 」 と言う女の子が生まれます。
ところが当時
伊能忠敬が製作したばかりの日本地図を
シーボルトが手に入れた事が幕府にばれ
スパイ容疑で日本から
強制退去させられてしまったのです。
( ちなみに娘の 「 お稲 」 は後に
日本人初の産婦人科医として
歴史に名を残すことになります。 )
今も現存してる
シーボルトが愛用した地球儀。
その地球儀の中で
消えてしまっている国があります。
何とシーボルトは30年もの間
日本と残してきた
「 お滝 」 と 「 お稲 」 の事を想い
地球儀の中の日本を
何度も何度も指でなぞったんだそうです。
その為シーボルトの地球儀からは
日本だけが消えてしまっているのです。
そんな想いが通じたのか
やっと許しが出て
日本に再来日を果たしたのは
「 別れ 」 から30年の月日が経ち
シーボルト64歳、お滝53歳
お稲33歳になった年でした。
シーボルトは 「 お滝 」 の事を
「 おたきさん 」が訛ったのか
「 おたくさ 」 と呼んでいました。
そしてその 「 おたくさ 」 が愛した花が
「 紫陽花 」 でした。
彼が祖国にいる間に出版した著書
「 JAPOINICA ( 日本 ) 」 。
その本の中で紫陽花を紹介しています。
日本名 「 紫陽花 」。
学名
「Hydrangea macrophylla
” OTAKUSA ( おたくさ )”」。
そう
彼は日本の象徴である
梅雨に咲く花に...
「 おたくさ 」 が愛した
その花に...
彼女の呼び名
” OTAKUSA ” をつけたのでした。
ジメジメした梅雨時に咲き
” 移り気 ” の花言葉を持つ
地味な花 「 紫陽花 」。
しかしそんな花にも
誰にも負けない深くて強い
” 愛の物語 ” があったことを知っていただき
花言葉とは似つかない一途なその花を
愛でていただければと思い記事にしました。
長文最後までありがとうございました。
もしもあなたが雨に濡れ
言い訳さえもできないほどに
何かに深く傷ついたなら
せめて私は手を結び
風に綻 (ほころ) ぶ花になりたい
たとえこの身が果てるとも
戦 (そよ) ぐ島風 願いに染まれ
花のように 花のように
ただそこに咲くだけで美しくあれ
人はみな 人はみな
大地を強く踏みしめて
それぞれの花 心に宿す






