このコンテンツでは好き勝手なことをつらつら述べていきます。カテゴリーもテーマも一切なく、独断と偏見で“アンテナ”に引っ掛かる事柄を自己発信。ゆる~い感じでおつきあいください。

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とある日のこと、久しぶりに母親と銭湯に出向いた。背中を擦ってあげていると、その指に金色の指輪が光るのがちらりと見えた。思わず「懐かしいね、それ」と声をかけると母も、「そうだね。もう20年近くになるかね」と慈しむような声で言う。

実はそれは、学校を卒業して初めての給料で母に贈ったプレゼントだった。砂粒ほどの小さなダイヤがいくつか散りばめられたもので、デザインの洒落たところが気に入って買ったのだ。苦労ばかり背負ってる母に、明るい気持ちになってもらいたくてデパートのジュエリーショップに出向いたことを、昨日のことのように思い出した。母の指が想像以上に太くて結局直しに出したことなどを思い出し、二人で笑った。

その母が、襟足を剃刀で剃ってあげるよと言う。そうだ、そうだった。思春期になる頃から気付けばそうして母に襟足を綺麗にしてもらっていたのだった。兄弟の中でそんな風に声をかけてもらうのは私だけだった。母が思うほどに、当の本人は気にしていないのだけれども、母はお風呂に一緒に入るとそう言うのだ。

本当は「別にいいよ」と言ってしまっても良かったのだけれど、なぜかそれが言えなくて、母がそうしてくれるならお願いしようと黙って頷いた。母にとって私はきっといくつになろうと娘なのだろう。

とはいえ、母もやがては老いる。小学校の門を手をつないでくぐったあの美しい母の姿はとうにない。骨がもろくなっていき、かさかさと乾いた皮膚がやけにかゆみを帯びている。食が細くなり、眠れないと呟きながら浅い眠りにまどろむ日々も少なくない。風邪が治りきらずに乾いた咳を繰り返し、古い丹前を羽織ってテレビの前に座っているような生活がそこにある。あんなに出歩くことを楽しんでいたというのに、少しずつ外出することを億劫がるようになりつつある。ほんの少しの変化を毎日積み重ねていきながら、そうして時が経過していくのだろう。昨日と今日では何も変わらないかもしれないけれど、春の頃には出来ていたことが、秋にはすでに興味を失っているということもある。

もしかしたら母は、一年後にいないかもしれない。しかし、もしかしたらまだあと20年は普通に生きて、気付けば40年を生きることになるかもしれない。

明日という不確かなものを前に、確実に老いていく母の姿や生活を思いながら、首筋や肩にあたるその細い指先と温もりにありがたさを感じて胸が熱くなる。こうして娘でいられるのも、実はそう長い時間ではないのかもしれない。生活は続いても、その関係が知らぬ間に逆転するようになっていく。それが自然の道理であるならば、決して逆らうことなど出来ないだろう。

金色の指輪は、久しぶりにそんなことを感じさせてくれた。母と娘と娘の娘。この日はそんなメンバーで、近くの銭湯を楽しんだのだった。秋の深まりに、じんと心に響くこと。そんな思いをつらつらのせて、敬老の日を忍ぶのであった。


written by YUKAKO