文章の書き方って、ほんまに人それぞれで…
私みたいなんは、割と特殊?なんやろうか。
口語体での書き方は出来ない人はできないようで。
そのあたりがおもしろいと言われることもある。
ちょっとおもしろい本があったのでご紹介。
何年か前に「○○の品格」っていう本が流行った時期があったなぁと思って図書館で手を伸ばしたのが『文章の品格』。朝日出版社から出ていて著書が林望氏。
初版が2008年やから10年近く前に出された本。
冒頭からドキっとさせられた…
その内容が
・文章の基本は「日ごろの話し言葉」にある
というもの。
「書く」と「話す」をわりと切り離して考えていたから、正直ヤバイ!!と思ったww
この「ヤバイ!!」も自分の品を下げる表現になるわけで![]()
抜粋すると、
「文章はその根のところに、各自の「話し言葉」が伏在しているはずなので、そこをよく矯正し磨かないと、必然的に文章もまた磨かれないということになります。」
………ごもっともかと。
基本的に口が悪いので耳が痛い!!!![]()
さらに痛烈なのが、
「下品な文章には説得力がない」
という話も!!!
………気をつけますっ!!!
こうやって、なんやらかんやら書くようになると、それが自己表現なのは明らかで、私を知らない人はこの文章を見て読んで、あぁ、この人ってこんな人なんか…という判断材料にするわけで。
うん。下品はいややなぁ…やっぱり。![]()
さらに出てくるのが世阿弥の能楽の伝書『花鏡』の抜粋と解説で…
以下、一部抜粋。
「見所より見る所の風姿は、我が離見なり。然れば、我が眼の見る所は、我見なり。離見の見にはあらず。離見の見にて見る所は、すなわち、見所同心の見なり」
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「観客席から見るところの自分の姿というものは、自分にとっては『向こうから見る見方=客観的視線』である。そうすると、自分のほうから自分を見るのは『こっちから見る見方=主観的な見方』である。この我見は決して客観的にものを見ているのではない。けれども我意を離れて向こう側から自分を見直してみる、それすなわち、見物人がどう見るかというところと同じはずだ」
表現者のあり方としては当然で、何百年も前から謳われている姿勢…。
…なににおいても表現するということでは、そこで自分が使う言葉がどんなふうに相手に聞こえるのか…
「世阿弥の言う『離見の見』の意識を持って言葉を使わなくてはいけないということなのです。
そうして、この意識こそが、じつは文章上達の最短の近道だということに気づいていただきたいのです。」
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気をつけますっ!!!