今回の参詣は、新宿区河田町から同区高田馬場まで、およそ5kmの道のり上にある11社を巡ります。2社目は余丁町の出世稲荷神社へ。

ここは若松河田町駅から「余丁町通り」を南西に200メートルほどのところ。

 

 

 

この辺はまだまだ個人宅がいっぱいあるような地域で、当社は余丁東児童遊園に隣接しています。そんな中にあるここ出世稲荷は西暦1457年の創建と伝わり、これは室町時代の足利義政の時代に当たります。江戸時代は「興要庵(または與聖庵)」という寺院が別当でしたが、現存しません。

 

 

 

手水鉢

「正徳三癸巳暦 二月大吉日」とあります。

西暦では1713年なのですが、これだけ古いものが摩滅や剥離も少なく可読の状態で残っているのは、屋外設置の奉納物としては極めて希少です。

時代背景的には、前年に隅田川で初めて打ち上げ花火が上がり、2か月前に徳川家継が将軍就任(正式には翌4月)した頃です。

 

 

 

御由緒 境内掲示より

御祭神 倉稲魂命

お稲荷様と一般にいわれ福徳開運十種の徳を

そなえた衣食住の守護神であります

御由緒

長録元年(約五百二十年前)江戸城主太田道灌

によって当地に御鎮座されたものであります

元録年中には徳川五代将軍綱吉の生母桂昌院の

信仰篤くしばしば角力も興行され特に賑わいました

明治六年それまで栗津稲荷あるいは朝日稲荷と

呼ばれていたものを出世稲荷神社と改めました

昔から農工商の神様として崇敬され特に当社は

武士の信仰も篤く商売繫昌家内全隆除災特に

火災を守る神様として霊験あらたかであります

御祭典

月例祭 毎月十七日

大 祭 十月十七日

初午祭 二月初めの午の日

昭和五十一年十月十七日

出世稲荷神社

 

 

 

御由緒2 東京都神社史料より

稲荷社 大久保四ツ目

額字正一位稲荷大明神

社守興要庵 白銀瑞聖寺末

神体ハ琥珀にて甚尊きものなりされハ、此稲荷ハ一位

の御方(桂昌院殿の御事なり)なとことに御信仰あり、昔ハ殊

の外賑ひしと云、今ハ知る人さへまれなり、かの神体

も人に奪ハれしとて今ハなし、おもふに此稲荷の繁栄

せしハ元禄年中の事なるへし、其頃ハしはゝ角力なと

此所にて興行せしといふ、

 

 

 

敷地内の余丁児童遊園にはめずらしいぐらいの大掛かりな遊具というかお城がありました。都会の公園でしか見かけないようなスケール感ですが、休日の昼過ぎでも誰も居ないってのが、今の時代らしくてなんか儚い。

 

 

 

 

写真はすべて2016.07.31 撮影

 

備考 

社号 出世稲荷神社

別名 栗津稲荷神社・朝日稲荷神社

祭神 倉稲魂命

創建 長禄元年(1457)

祭日 月例祭毎月17日  大祭10月17日

   初午祭2月初めの午の日

末社 

社務所 

所在地 東京都新宿区余丁町12-18

その他 西向天神社・嚴嶋神社兼務