今回の参詣は、新宿区河田町から同区高田馬場まで、およそ5kmの道のり上にある11社を巡ります。最初は河田町の金弁財天へ。
ここは若松河田駅の南側にある「女子医大通り」を南に400メートルほどのところです。そして今回訪れる予定の11社中、4社が弁財天または過去に弁財天だった神社となります。新宿区は同じ水の神でも、ミズハノメ・タカオカミ・イチキシマではなく、なぜか弁財天が多いのが特徴です。
「東京女子医科大学」の中央病棟と総合研究棟の間の通りにある階段を下ったところに今回目当ての神社があります。
Lの字型の小さめな境内です。
御由緒は見当たりません。
手水鉢
ほとんど身動きが取れないのと、奥行きもないので奉納年などは確認できませんでした。
フェンスでがっちり囲われていてほとんど何も見えませんが、水の流れる音がするので下を覗いてみると、わずかに池が形成されてあります。
扉に張り付けられている千社札の中のひとつに「両国東八百賢」とあり、調べたら現在もあるスーパーマーケットの「ヤオケン」のようです。最近両国へ行く機会多いのでちょっと親近感沸きます。千社札を張るのは主に下町以北の地域の人が多く、ここでは清川、三ノ輪、日本堤、小岩あと千寿は千住、神和は神田和泉町の人たちかな。
神使像
とぐろを巻いた蛇です。
もしかしたら男弁天とも称される宇賀神を奉斎しているのかもしれません。宇賀神は都内ではめずらしく、小日向徳運寺、石神井宇賀神社、中野福寿院、五反田安養院、江島杉山神社に祀られているぐらいです(現時点で分かっている範囲)。
格子戸を覗くと中々立派なお社が見えます。
背後の石壁の雰囲気といい、石神井宇賀神社、蟠龍寺、松蓮社の江島杉山神社といった弁天窟を想起させます。
氏子銘板
中央に神紋の三つ鱗、「金辨財天 昭和二十五年 六月吉日」、下段に「お組●中町 に組上富久 の組矢来● う組豊川町」とあります。
左右にも氏子町と思われる名がいくつか見え、仲の町、若松町、加賀町、榎町、辨天町、鶴巻町といった新宿ゆかりの旧地名が多いですが、初音町、東御殿町、上町、江戸川町、関口は文京区の旧地名です。最も遠い東御殿は白山の方なのでずいぶん熱心な篤志家が居るほど霊験あらたかなのでしょう。
江戸切絵図なんかで見ると、当地は丹後宮津藩・松平伯耆守家12,000坪の御屋敷の中で、ちょうど池があったあたり。御由緒が無いので何とも言えませんが、もしかしたら元々お屋敷の弁財天だったのかもしれません。
写真は2016.07.31(社殿・神社周辺)、2025.07.27(覆殿・河田町散歩) 撮影
備考
社号 金弁財天
祭神
創建
祭日
末社
社務所
所在地 東京都新宿区河田町8-32
その他
周辺散歩
あけぼのばし通り
新宿線「曙橋駅」北側から商店街を入ってこのあたりからが「河田町」です。旧地名を川田窪といい、周辺には大久保、市ヶ谷、市ヶ谷谷町と名前が残っているとおり、このあたりは窪地が多かったようです。
河田町といえば、これ。1997年まであったフジテレビ本社屋への案内碑が今も残っています。あけぼのばし通りにある、いちご大福の元祖とされている「大角玉屋」の角にこの標識が立っています。
フジテレビ跡
標識がある先の念仏坂を上がると、もう目の前がフジテレビ本社跡です。
この左手の「河田町ガーデン」に1997年まで社屋がありました。どうもこの辺が車両入場口だったらしいです。
小笠原伯爵邸
女子医大通りを若松河田駅へ向かって大久保通に出ると、レストラン「小笠原伯爵邸」があります。ここは、旧小倉藩主家である小笠原宗家30代当主・長幹伯爵が昭和2年(1927)に建てた邸宅で、「東京都選定歴史的建造物」に登録されています。
建物はスパニッシュ洋式で、旧シガールームでこの広さと豪華さ。煙草や葉巻がトルコやエジプトから入ったことから喫煙室をイスラム風にするのが当時の習わしだったそうです。
客席のダイニングルームは撮りづらいのですが、それ以外のスペースは営業中でも撮影自由という、レストランでは珍しいくらいの惜しみない対応です。
伯爵邸を象徴する樹齢500年のオリーブの木。
礼法・茶道・馬術でも知られる小笠原家は、新羅三郎義光の孫・加賀美遠光の次男長清から始まる名家。遠光の兄が甲斐武田氏の初代清光という流れです。














