今回の参詣は、板橋区赤塚から徳丸までの5kmの道のり上にある9社を巡ります。4社目は大門の浅間神社へ。
ここは前回の東京大仏から東に500メートルほどのところ。
浅間神社
当社はすぐ近くにあります赤塚諏訪神社の境外末社です。
お社は3つありますが、いずれにも扁額は無く、また社殿内を覗いてみても社号がわかるようなものがありませんでした。おそらく向かって右の大きいのが浅間神社、あとは鈴原大神宮・小御嶽神社・御座石浅間神社・御室浅間神社のどれかだとは思うのですが不明です。
神社1
向かって左側のお社。石造・石碑に詳しそうな方のブログを見ると、当社に関しては「十羅刹女社」で一致しています。神仏分離の際に赤塚諏訪神社の祭神から分けられ、当地に遷ったそうです。
石像
神社1の御前に安置されています。
左像の背面に「文化七庚午四月建之 伊勢太々講中」、右像の背面に「淺草御門外石工甚六」と読めます。珊底羅大将・因陀羅大将というらしいです。
神社2
中央のお社。こちらは人によって浅間神社という人もいれば、御嶽神社という人もいます。2016年にお参りをして中を覗いたときには「大正六年七月吉日 御嶽大神 願主小日向」と刻まれた木札が見えたのでおそらくこちらが御嶽神社かな。
神社3
おそらくこちらが浅間神社と思われるお社。中にはやはり社号がわかるようなものはありません。
台座部に岩が安置されていました。磐座のようなものにも見えますが、単にお社を安定させるための重りにも見えます。
石碑群
当社には石碑がとてもたくさんあり、数えてみたところ富士塚周辺も含め全部で24基ありました。これだけ大量に建立されているのは、おそらく他所では見たことがありません。祭事をまめに執り行いその都度増えていったのでしょうか。
石碑の詳細についてはページの最後にまとめて記載します。
富士塚
通称を赤塚富士といい、「神社3」の後ろに登山道があります。2011年と2016年にも訪れ、その頃から当地が富士塚と呼ばれていたことは知ってはいたのですが、こっちの森が富士塚だとは気づかず、登山道の存在にも気づいていませんでした。登山は3回目の正直です。
富士塚の詳細については「東京の富士塚74」をご覧ください。
ほんの15メートルぐらい登ると奥宮が見えてきます。
御由緒 境内掲示より
赤塚諏訪神社富士塚
富士塚は、一般的には、富士山へ登拝することを目的
に組織された「富士講」の人びとによって、富士山を模
して造られた、ミニチュアの人造富士山のことで、富士
講が爆発的に広がった十八世紀以降に、各地で盛んに造
られました。
富士塚の特色は、山麓から山頂にかけて登山道を模し
た道を設け、それに沿って石碑を配して、富士山各所の
礼拝所を表現していることや、「黒ボク」と呼ばれる富
士山の溶岩石を取り寄せ、使用している点にあります。
また、富士塚への登山自体が、富士山登拝と同様の御
利益があるとされています。なお、各地の富士塚では毎
年七月一日前後に、富士山の山開きに合わせた祭礼が行
われている所もあります。
当富士塚を造成した富士講「丸吉講」は、新座郡中沢
村(現在の新座市)出身の浅海吉右衛門が開いた講中で
す。当地(旧下赤塚村)へと丸吉講が伝播した時期につ
いては、詳らかではありませんが、和光市白子熊野神社
境内の富士塚にある、明治三年(一八七〇)に奉納され
た鳥居には、他地域の丸吉講の講中とともに下赤塚の人
びとの名が見られることから、それ以前の幕末期には当
地に伝播していた可能性が考えられます。
また、この富士塚の造成時期については、志木市敷島
神社の境内にある「田子山富士」へ奉納された明治五年
の「丸吉講新富士百三十三所奉納額」に、「下赤塚仙元
富士山」と表記されていることから、それ以前の段階だ
と考えられます。
当富士塚は、平成二十二年度、区の登録記念物(史跡)
となりました。
平成二十三年八月 板橋区教育委員会
石碑群24基
鈴原大神宮
社殿の向かって右後背にあり。山梨県側の富士登山道一合目にある鈴原社(鈴原天照大神社とも)のこと。左側面に「明治十七稔八月下澣建之春日弥吉」とあります。
その右の石塔は古い時代のお社だと思うのですが、「代参講中」「明治四十二年六月 大門田中 連名四十名」しか刻まれていません。
御室浅間大神
こちらも山梨県側の二合目にある冨士御室浅間神社のことです。
その他石碑
御座石浅間社、角行靈神、参明藤開山、南無妙法蓮華経 清正公大神 天地清泰 萬民安楽、釋迦割、小御岳神社、駒ケ嶽、泉ヶ瀧、食行身禄靈神、日御子、冨士森稲荷、浅間神社、代参講中、龜磐、烏帽子磐、開運大黒天、和久泉、冨士太記念碑、本社再建記念碑、御嶽山鳥居建設記念碑 赤塚一山元講社、千社札碑 以上。
当社にあるすべての石碑が富士浅間神社や山岳信仰に深く関わりのある石碑ばかりなのに、神将像の銘だけ「伊勢太々講」と、全く異質の講名のものが安置されていたのは「神仏分離で移された十羅刹女社」である説が正しいのかな。
写真は2025.04.19 撮影
備考
社号 浅間神社
祭神
創建
祭日
末社 伝十羅刹女社・御嶽神社
社務所 御朱印は大門諏訪神社(社務所が開く時のみ)
所在地 板橋区大門5
その他 大門諏訪神社境外末社











