今回の参詣は、足立区千住宮元町の千住神社へ。
ここは『北千住駅』から西へ1.2kmほど、日光街道から少し入ったところ。千住は、江戸時代初期、最初に設置された日光街道に続く宿場町だったところです。
当社の由来は、延長四年(926)に創建したと伝わる「千崎稲荷」と、弘安二年(1279)に創建した氷川神社があり、明治六年(1873)両社を合祀して現在のようになったようです。永承六年(1051)奥州征伐の時には、源義家が当地二ツ森に陣営を設けて神前に戦勝祈願をしたとも伝わっています。
“森”は山を表す“盛り”に通じ、神の宮居や神域を指す言葉であることが多く、「二ツ森」は二社並列か二神一座を表しているかと思えます。もし源義家の時代から二ツ森の名があったとするなら、氷川社よりも前は別の何かが鎮座していたことになりますが、便宜上そう説明しているだけかも。
狐像
阿吽の表現はありませんが、右が雌で左は雄の印があります。
どちらも同じ向きに跳ねている格好ですが、雌の方が雄を気にしているようにも見えます。
狛犬
狐像の背後にあります。右が阿形で子抱き、左は吽形でこちらも子抱き。
「文政十三年五月」とあります。
御由緒
境内石碑より字体などそのまま記載
読みやすいところで改行しています。また黒丸は埋没や欠損で読めない箇所。
西森神社之碑
西森神社東京府下千住町第一街第二街鎮護神也
街即往昔千壽里也延長中里民創稲荷社于里西位
弘安中又建氷川社于其側併稱曰西宮又曰二森
明治六年朝命以合両社改曰西森神社以為鄕社
於是有志者謀胥更拓社地改築祠宇鑿井掲扁
構鐵柵置社務所崇敬之至矣考千住本蕞尓一邨落
而自文禄架大橋呂還慶長置掃部宿元和築掃部堤
寛永改名千住田野年闢市廛月稠今則人口之夛至
一萬四千餘終入東京版圖可謂盛●是雖時運使然
豈亦出于神徳之所致歟宜哉衆之嘉舉遠踰前古
矣與●歌曰維神之宅于千住郷斯瞻斯仰●赫靈光
明治廿三年十一月
佐藤元萇謹撰
新編武蔵風土記稿 足立郡淵江領 千住宿 千住町二丁目
稲荷社 一丁目の鎭守にして千前稲荷と稱せり、別當慈眼寺
氷川社 當所の鎭守なり、末社疱瘡神社、別當金蔵寺
境内社
千住富士
千住神社にも富士塚があります。通常は登山禁止ですが、7月1日の山開きの日のみ、登ることが出来ます。
山頂に祠があり、御祭神は木花咲耶比売命。
稲荷神社
富士塚の左隣に鎮座しています。
御由緒は見当たりません。
恵比寿神像
お正月に開催される『千寿七福神めぐり』の恵比寿様。千住神社の名物的な存在で、「なりゆき街道旅」、「有吉くんの正直さんぽ」などの旅番組などでも度々取り上げられるほど有名です。
女性は右へ3回まわし、男性は左へ3回まわした後、商売繁盛なら鯛、家内安全と合格祈願は頭、縁結びは胸、癌除けは腹、スポーツは腕と足、ボケ防止は後頭部を、ハンカチを使って撫で、そのハンカチを持ち帰った後、撫でた場所と同じ自分の体を3回撫でるというのがこの恵比寿様への願掛け法です(効くとか治るとは書いてません)。
商売繁盛は、家で鯛を撫でるのかな。
末社
恵比寿神の背後にあるので恵比寿神社かと思いきや、恵比寿神社はその左奥にあるので、こちらは何神社かわかりません。
三社宮
左から八幡神社、恵比寿神社、三峯神社
千住神社は境内にも公式ホームページにも境内社についての説明がないので由緒などわかりません。
稲荷神社2
写真はすべて、2017.1.4 撮影
備考
社号 千住神社
創建 稲荷:延長四年(926) 氷川:弘安二年(1279)
祭神 須佐之男命 宇迦之御魂命
祭日 1月1日歳旦祭 2月初午祭 6月大祓
9月15日例大祭 11月七五三 12月大祓
5年に一度、一之宮神輿の巡行(次回は2025年)
末社 浅間神社 恵比寿神社
社務所 御守り御朱印授与御祈祷受付有
所在地 東京都足立区千住宮元町24-1
その他 伊興氷川神社・舎人氷川神社・入谷氷川神社・
古千谷氷川神社・伊興八幡神社・伊興諏訪神社・
入谷北野神社・宮元町八幡神社・
大川町箭弓稲荷神社を兼務
千住富士(富士塚)、七福神めぐり















