今回の参詣は、港区愛宕の青松寺にある千里社稲荷へ。

ここは地下鉄日比谷線神谷町駅から東へ600m程のところ。周囲にはアークヒルズ、オランダヒルズ、千石森タワー、虎ノ門ヒルズ、愛宕グリーンヒルズ、33ビル、37ビルと、辺り一帯見渡す限り森ビルばかりで植民地みたいなエリア。さらに森トラストは、神谷町をゴッドヴァレー(God=神 Valley=谷)と名付けて、またしても巨大ビル建造に邁進している。

 

 

 

 

楼門

1階部に四天王像を安置。

当寺では前後ではなく左右に2体ずつ並べて配している。

 

 

 

 

四天王

左から持国天・広目天・多聞天・増長天の順(だと思う)。

楼門向かって左側に持国天(大通り側)・広目天(境内側)の二体。右側に多聞天(境内側)・増長天(大通り側)

 

 

 

 

増長天だけ邪鬼の踏み方がハード。

 

 

 

萬年山 青松寺ばんねんざん せいしょうじ

曹洞宗の寺院で、増上寺と同じく元々桜田郷貝塚(現:平河町)にあったが、江戸城拡張に伴ってこの地に移った。

また橋場総泉寺(現:板橋区小豆沢)、高輪泉岳寺と同じく「江戸三箇寺」のひとつ。関東にあって全国の曹洞宗を管掌した三寺院を「関三刹」といい、この江戸三箇寺はそれど同格の権威を持っていたという。

 

 

 

 

雲堂?と書いてあるように見える。

本堂向かって左側にあり。「江戸東京の寺社609を歩く」によれば、こちらは坐禅堂のよう。

 

 

 

 

観音聖堂

本堂向かって右側、観音堂なら上がれたのかな。

もし庫裡や学寮だったら気まずいので、なんとなく踏み込めない。それより御朱印はどこだったんだろう。

 

 

 

 

本堂

左右に仁王を配置。

本堂の扉は引き戸ではなく、寺紋の付いている中央の板の部分だけが押戸になっている。近づくとちゃんとドアノブが付いている。

 

 

 

 

これだけの大寺院なのに、数組の参拝客以外誰も見ない。

それに江戸時代において大変な地位があったお寺さんなのに、教育委員会からの御由緒や説明板が無い。

 

御由緒

境内配布資料より

青松寺縁起ばなし

青松寺は道元禅師を開祖とする曹洞宗のお寺です。山号を萬年山と申します。

開創されたのは500年以上前の室町時代、文明8年(1476)のこと。江戸城築

城で名の知られる太田道灌公により、当初、麹町貝塚(現在の国立劇場、最高

裁判所周辺)に建てられ、開祖には埼玉県越生の龍穏寺5世・雲崗舜徳禅師が

迎えられました。その後、慶長5年(1600)、徳川家康公が江戸城の外堀をつく

る際に移築されることとなり、それが愛宕山南に続く丘陵で含海山と呼ばれた現

在の土地であります。

 江戸時代には泉岳寺、総泉寺とともに曹洞宗江戸三箇寺の一つに数えられ、

寺内に獅子吼林(獅子窟)僧堂を擁しました。こちらではこちらでは面山瑞芳をは

じめとする宗門の牽引役となった幾多の学僧たちが輩出されています。のちにこ

の獅子吼林僧堂は明治15年(1882)、吉祥寺栴檀林学寮と泉岳寺学寮ととも

に曹洞宗大学林専門学本校へと統合され、現在の駒澤大学へと発展していきま

した。

 大正12年(1923)、関東大震災が発生。東京は壊滅的な被害に遭い、青松寺

の堂塔も烏有に帰してしまいます。震災後の復興は少しずつ進み、昭和4年(19

29)当時では珍しかったコンクリート造りで本堂が再建され、ようやく寺院としての

機能を取り戻すことができました。しかし、震災復興計画の制約のなかで、本来あ

った姿を取り戻すことはできず、由緒あった僧堂も再建されるに至りませんでした。

 この様な経緯があり、萬年山青松寺の元の姿を取り戻そうと境内地の再開発を

行い、伽藍を再整備する復興工事がなされました。本堂を除く堂宇はすべて建て

替えられて10余年、意欲ある若き宗侶たちが学び修行できる僧堂が獅子吼林サ

ンガの名のもとに復活するとともに、たくさんの人々がお寺の行事にご参加いただ

けるよう、大人数収容可能な観音聖堂、多目的に使える貝塚ホールといった空間

が新設されました。

 復興にあたっては、境内地があたかも極楽浄土になるようにとの願いが込めら

れ、お寺を挟むようにして立つ愛宕グリーンヒルズの二つのタワーは蓮の花をモ

チーフにしています。また自然環境としましても、再開発前と変わらない数の豊か

な木々を残し、明治時代に流れていた櫻川の清流を再現したました。

 都会の中にありつつも、このお寺が、人々が心を落ち着け、祈り、行じることが

できる場所であることを願います。

 

 

 

 

江戸名所図会 巻之一 天枢之部

万年山青松寺 曹洞宗の禅刹にして江戸三箇寺の一員たり、

本尊は釈迦如来、開山を雲崗俊徳大和尚といふ。文明年間

太田左衛門佐持資草創す、

 

※文明年間=西暦1469-1487、太田左衛門佐持資=太田道灌

 

 

 

 

境内の南側(雲堂の裏側)に、上に上がる道があって、進むと大観音が見えてくる。

 

 

 

 

法輪大観音

お名前以外不明。

 

 

 

法輪大観音の手前の道をさらに進むと稲荷社が見えてくる。

 

 

 

 

ジャータカ地蔵

手前の石には狐に乗ったダキニ天と、左側の方はというと、狐というより馬っぽいし、男神もお不動さんに見えるけど、笠間稲荷の宇迦御魂神のようにも見える。

他の石はお地蔵さま。パンフレットには「ジャータカ地蔵」とあった。

 

 

 

 

千里社稲荷

大小三社並んである。

「稲荷堂」としか記されていないけど、『江戸の神社・お寺を歩く「城西編」』の第五章・愛宕芝に、当寺の稲荷を千里社稲荷と紹介されている。

 

 

 

 

狐像

右が阿形で鍵を抱え、左が吽形で宝珠を抱える。また尾は太く、逆立てずに後ろ脚に巻き付くようになっている。

 

 

 

 

稲荷堂の裏側に周ると、岩を積み上げてできた狐穴がある。

その左右に狐像が配されているけど、お顔ないし首が欠けている。

 

 

 

 

稲荷堂向かって右側に石階段があった。

打って変わって整備された階段は、駅やこの辺りの商業ビルに繋がりそうな気がするけど、念のため行ってみた。

 

 

 

 

青松寺のホームページに掲載されている写真に、この場所が写っているので、おそらくここも境内。

 

 

 

 

摩尼車 まにしゃ

干支の分あり、くるくると回せる。

 

 

 

 

小祠

展望台の右下にあった。何を祀っているかは不明。

 

 

 

江戸名所図会に、「当寺後ろの山を含海山と号く、眺望愛宕山に等しく美景の地なり」とあったけど、木々が鬱蒼と茂り尽くしているので、今は背の高いビル以外何も見えない。

展望台そばの木が腕を15mぐらい伸ばして、必死に光合成をしようと陽をもらいに行っている。

 

 

 

 

聖観音像

再び楼門前まで帰ってきて、愛宕方面に進んだらあった。

 

 

 

 

その手前には仏足石。

 

 

 

写真はすべて、 2014.7.21(本堂望観・本堂前)、2017.2.12(その他) 撮影

 

備考

社号 千里社稲荷

祭神 

創建 

祭日

末社 

社務所 

所在地 東京都港区愛宕2丁目4−7

その他 青松寺の境内