今回の参詣は、文京区向丘の海蔵寺の稲荷社へ。

ここは地下鉄南北線本駒込駅より南東に600mほどのところ。文の京というだけあって夏目漱石やサトウハチローといった文豪の旧住居跡碑だけでなく、大学のキャンパスや研究所、寺院が多い地域。

 

 

 

お寺の紋は五七桐紋。

 

 

 

都家かつ江之碑

山門くぐってすぐ、参道左側にある。昭和期に活躍した三味線漫談家で女優の都家(みやこや)かつ江の墓が当山にあり、一周忌の記念にこの石碑も建立されたとか。右側面には森繁久彌による献句が刻まれている。右隣りの灯篭は上野の鈴本演芸場にあったものを、かつ江氏が生前貰い受けて所蔵していたもの。

 

 

 

 

大智山海蔵寺
天文年間(1532‐1554)勝庵宗最禅師を開山として江戸城和田倉門内に創建された曹洞宗の寺院で、明暦年間(1655‐1657)に当地に移転してきた。江戸庶民に富士信仰を広めた富士行者身禄の墓、大嶽門左衛門(最高位前頭の大嶽紋右エ門)、十代目横綱雲龍久吉の墓がある。

 

 

 

身禄行者の墓

江戸時代中期に活躍した宗教家であり富士講中興の祖といわれる食行身禄(じきぎょうみろく)の墓。

身禄は、富士講の開祖であり富士山麓の人穴で木材に爪先立ちして千日修行したという角行の弟子。釈迦の入滅後56億7千万年後に出現して世直しをするという弥勒菩薩から名を取ったといい、師匠角行が藤原鎌足の子孫を自称したり、北辰妙見菩薩に祈願して生まれたとか、新宗教にも繋がる訝しさが垣間見れる。

 

 

 

墓は富士塚のように岩をうず高く積み上げ、一山を成している。

あくまでも故人の墓なので、富士塚とは大本の主旨が異なる。

 

御由緒

境内掲示より字体改行などそのまま記載
 身禄行者の墓 海蔵寺 区指定史跡
 身禄行者(寛文11年~享保18年・1671~1733)は、食行行者ともいい、江戸庶

民を中心にさかえた富士信仰の中興の祖として知られた人。
 庶民の苦しみを救おうと、富士山七合五勺の烏帽子岩近くの石室で断食入定(食を

絶って死ぬこと)した身禄の教えは、広く庶民の信仰をあつめた。身禄行者の骨が分

骨埋葬されたといわれる墓の墓碑は、富士山をかたどった溶岩の山上に建てられてい

る。左にある「参食行身禄●」とある小さな墓は初めの墓である。 (※●=にんべんに枸)
 ちなみに富士信仰は「富士講」として組織され、江戸市中の寺社境内に「小富士」

が築かれた。区内にある「富士神社」は今に残る富士信仰の史跡である。
 東京都文京区教育委員会 平成2年3月

 

 

 

稲荷社

小さなお社と、狐像が飾られていることから稲荷社だろうとは思う。身禄行者の鳥居の扁額といい、当稲荷の掲示といい、日焼けや風雨によって文字が読めない。

 

 

 

身禄行者の墓近く、三界万霊の下にあった二つの像。

こういう場所に人型をした石像が置かれていることも、この不思議な風貌も珍しい。

 

 

 

向かって右は、袖なし羽織の老人風の男性で頭に兜の破片のようなものがこびりついている。手には箒と塵取りらしきものを携えている。

左はもっと異形で、元々顔に面をした姿に造られているようで、その上に金属製の天狗の様に鼻の出張ったお面をつけている。こちらは熊手を持ち、衣装は裃と袴。

 

 

 

写真はすべて2016.3.19 撮影

 

備考

社号 

祭神

創建

祭日

末社

社務所

所在地 東京都文京区向丘2-25-10

その他 海蔵寺の境内